更新日:2024年03月24日 10:02
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「2006年に閉園した遊園地」“ディズニーランドをパクった”施設が辿った数奇な軌跡――大反響トップ10

反響の大きかった2023年の記事からジャンル別にトップ10を発表してきた。今回は集計の締切後に、実は大反響だった記事に注目。年間ランキングで忘れられがちな11月12月に公開した社会経済ニュース記事から選ばれた、第5位はこちら!(集計期間は2023年11月~2024年1月。初公開2023年12月9日 記事は取材時の状況)  *  *  * 全国に数多くあるテーマパーク。今もなお新しいテーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんなテーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「テーマパークのB面」をここでは語っていこう。 東京ディズニーランドが開園したのは1983年だ。実はそれよりも前、日本に「和製ディズニーランド」ともいえる施設があったことをご存知だろうか。 それが、「奈良ドリームランド」である。「昭和の興行師」と呼ばれた日本ドリーム観光の社長・松尾國三によって作られた遊園地で、アナハイムにある本家のディズニーランドに大きな影響を受けて作られた園内には、本家そっくりのお城やアトラクションが立ち並んでいた。
奈良ドリームランド

奈良ドリームランドにあったお城。アナハイムのディズニーランドにあるお城とそっくりである(Ivan Lucas – photo taken by Ivan Lucas CC表示・継承2.5)

「奈良ドリームランド」ができるまで

創業者の松尾は、視察に訪れたアナハイムのディズニーランドに感動し、このような施設を日本にも作りたいと強く思うようになった。行動派だった松尾はすぐさま、ディズニーランドの生みの親であるウォルト・ディズニーに面会を申し込む。両者の間でどのようなやりとりがあったのかは、松尾がほとんど何も記録を残していないために明らかではない。しかし、再三にわたる松尾の熱意に押されて、ディズニー側が何らかの技術やノウハウをドリームランド側に提供したことは確からしい。 ただし、それはあくまでも「技術の提供」であって、「ディズニーランド」を作ってもよい、という許可ではなかった。一説によると、奈良ドリームランドの画像を見た生前のウォルトが激怒した、という話もある。そうした事情もあってか、本家のディズニーランドが日本に誕生する際には、大変難航したという話もある。 さて、これが奈良ドリームランドをめぐる話の概要だ。いわば、まだまだ娯楽に乏しかった日本が、本場アメリカのテーマパークを「パクった」話だと簡単に片付けられそうなエピソードでもある。

ディズニーランドにもれっきとしたモデルが

チボリ公園

チボリ公園

しかし、私はここでふと考えてしまう。 というのも、そもそも、パクられた元であるディズニーランド自体も、デンマークにあった「チボリ公園」という施設を大いに参考にしているからである。チボリ公園は1843年にデンマークに誕生し、あのアンデルセンもこの公園に足を運んで童話の構想を練っていたという。ウォルト・ディズニーはこの公園にたびたび訪れ、ディズニーランドのアイデアを練った。 実際、チボリ公園の中にはメルヘンチックなデザインで統一された建物群があったり、日本の寺院を想起させるような塔があったりと、どこかディズニーランドを思わせる建物が多くある。それだけではなくて、それまでの遊園地とは異なり、ある一つの「テーマ」に沿って、園内全体がデザインされているところも、大いにディズニーランドに影響を与えたと思われる。
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“東京ディズニーランドにはない”アトラクションが存在
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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