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なぜ「LDH」は国民から飽きられないのか。“伝説”が30年以上も続く理由

“直感”として紐づけられている50代男性リスナー

ここでひとつ、知人の証言を引用しておく。50代の男性リスナーである彼は、ボーカルATSUSHIが加入し新体制となった直後、J Soul Brothersからの改名を経た2001年9月27日リリースのデビューシングル「Your eyes only〜曖昧なぼくの輪郭〜」からの熱心なEXILEファン。 聞けば、ATSUSHIがデビューのきっかけを掴んだ『ASAYAN』(テレビ東京)の「男子ヴォーカリストオーディション」の視聴者でもなかった。あるいは、デビューシングルのR&Bマナーに共振したり、知人とちょうど同世代のLDH現社長・HIROが、渋谷のクラブで親しんでいたダンスミュージックのブラックネスを愛好していたわけでもない。にも関わらず、ATSUSHIのボーカルフローを“直感”したというのだ。 日本のダンス&ボーカルグループの草分けである「ZOO」の最年少メンバーとしてHIROさんがデビューしたのが、1990年。MISIAが1998年、宇多田ヒカルが1999年にそれぞれデビュー。「ZOO」が解散した95年から90年代後半までに日本でもR&Bが本格的に開放された。2001年のEXILE改名が意味するのは、21世紀の幕開けとともにダンス&ボーカルグループの礎を用意したことだ。 でもこうしたエポックメイキングと音楽シーンの背景とは無縁であるはずのひとりのリスナーを強烈に揺さぶり、ある日、突然変異的にそれまで聴いてこなかったはずのジャンルに目覚めさせることがある。2001年の改名デビューから20年以上の時を経て50代になった知人の脳内では今なお、個人史の直感として紐づけられている事実をきちんと押さえておく必要がある。

LDHアーティストが支持され、ハマる理由

その直感的な音楽体験は、LDHが社名として掲げるモットー「Love、Dream、Happiness」そのもの。つまり、ひとりのリスナーとして、大きな夢を仮託したんじゃないのか(ぼくが岩ちゃんにそうするように)。老若男女関係なく、広くLDHアーティストが支持され、知らず知らずのうちにハマっている理由が、このあたりにそこはかとない熱気として隠れているようにぼくは思う。 じゃあEXILEから翻って、改名デビューから15年後。2016年に公開された映画が、『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』である。同作は、岩田剛典の映画初主演作品として記憶されている。この映画主演デビュー年は、山﨑賢人などを筆頭プレイヤーに、所謂きらきら実写映画ラッシュのちょうど黄金期に位置づけられる。 同作を映画館で観たぼくは、ベッド上、シーツと薄い掛け布団のサンドイッチ状態で、カメラ目線ぎみになる岩田さんに対して金切り声をあげる女性ファンに遭遇したことをよく覚えている。岩ちゃんファンによるごく自然な反応だと理解しつつ、これは実は待望の逸材が映画界に出現した瞬間をまさに直感した叫び声だったんじゃないかとついつい妄想を飛躍させてしまう。 EXILEによる音楽的な地盤が常に磐石で、恒常的だからこそ、その分だけ申し子たる岩田剛典は俳優としても演技のフィールドを自由に耕し、決定的な足跡を残すことができる。『誰も知らない明石家さんま』(日本テレビ、2023年11月26日放送回)内の再現ドラマ「笑いに魂を売った男たち」でさんま役を引き受けてしまう彼は、LDHアーティストでありながら、(「劇団EXILE」とは別軸で)俳優部をも代表するご意見番的な役回りまで担う。2025年前期NHK連続テレビ小説『虎に翼』が朝ドラデビューとなることも手伝って、多くの観客や視聴者からの夢を託され、広く支持されるようになった存在感はもはや不動。
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LDH的な存在とは、国民的存在
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コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu

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