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なぜ「LDH」は国民から飽きられないのか。“伝説”が30年以上も続く理由

LDH的な存在とは、国民的存在

朝ドラつながりだと、戦前、戦中、戦後にアメリカ文化に対する夢や憧れをリズミカルな日本の音楽として体現した大作曲家・服部良一(現在放送中の『ブギウギ』で重要なモデルのひとり)でさえ、こうした文脈で現代風に表現すれば、LDH的な存在といえるかもしれない。LDH的な存在とは、同時に国民的な存在だから。 2008年に第50回日本レコード大賞を受賞した「Ti Amo」を呼び水として、3年連続大賞受賞の快挙を果たし、2009年には、天皇陛下御即位20年を祝う国民祭典で、奉祝曲 組曲「太陽の国」をパフォーマンスしたEXILE。俗にいうEXILE系カラーを国民的なものにした。この祭典は11月12日に開催されたから、2010年11月10日に控えた三代目JSBデビューまで1年を切っていたことになる。HIROさんが自伝エッセー『Bボーイサラリーマン』冒頭に書いた、「事実は小説より奇なりというけれど、小説が事実よりも、真実に近いということもあるわけだし」が現実化したように、何とも神がかったタイミングに他ならなかった。 グループ名を聞けば誰でも知っているし、2014年にリリースされ、レコード大賞に輝いた「R.Y.U.S.E.I.」は国民的大ヒットナンバーとして記憶されている。同曲の振り付け“ランニングマン”の大流行が、EXILE系をLDH系までより広くアップデートすることになった。では、国民的スターグループのメンバーでありながら、国民的俳優でもある岩田剛典が、名盤を引っ提げることでさらに神がかった存在へとダイナミックに舞い上がるのだとすると?

“岩田剛典神話”を伝承するかのような特典映像収録

実はぼくは『ARTLESS』Blu-rayに収録されている特典映像で、岩田さんの聞き手を担当させてもらった。LDHの歴史と岩田剛典というアーティストについての研究をこれまで根気強く続けてきたぼくにとっては、粘り勝ちの名誉仕事だ。 普通ならリリース後に聴くものだけれど、今回は特別に収録前からアルバムを通しで聴かせてもらった。「モノクロの世界」を含む、1stトラックにリード曲を配する全10曲。岩田さんのソロ楽曲はよくアシッド・ジャズ的だと形容されるが、むしろ白眉は、緻密な設計のバックトラックに対する抑制されたボーカルフローによって醸し出されるUKソウル的な品格だとぼくは思っている。 史実としてのLDHの歩み、音楽史的な文脈、岩田さんの個人史を統合した上で、この名盤誕生にリリース前から立ち会えた喜びはこの上ない。収録現場で岩田さん本人の口から岩田剛典について聞き、聞き手としてぼくも語り、口述的な文字起こしでもするようにこうしてコラムを書く。それは、『日本書紀』ならぬ、“LDH書紀”をもし編纂するなら、無闇矢鱈と神格化することだけは避けつつも、間違いなく大幅な字数を割くことになる“岩田剛典神話”を書き記すかのような体験。 実際、収録は、事前に用意した5000字超(!)の質問案原稿から息継ぎも惜しむくらい矢継ぎ早な、あっという間の90分間だった。それでも質問に対する答えを待ついっときの間、ぼくはまた妄想像を頼りにしてみた。これからこの名盤を愛聴しながら、全国民に向けた“岩田剛典神話”を伝承することが、きっとライフワークになるはず。あるいは『ARTLESS』が意味する“ありのまま”の状態で神がかるだなんて、この収録時間自体が実は、まぼろしなんじゃないかと。 <TEXT/加賀谷健>
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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