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みなみかわの“元相方”が語る、芸人からADになった理由「人生の仕切り直し、後悔はない」

「ADをやめたら、先輩・後輩に合わせる顔がなくなる」

元ピーマンズスタンダードの吉田寛

「特に最初の1年間は、ただただしがみつくのに必死でしたね」

――睡眠時間が少ないこと以外に苦労したことはありますか? 吉田:パソコンとまわりへの気遣いですかね。僕、パソコンは両手の人差し指で打つところからはじめたんで、ここはめちゃくちゃ苦労しました。  まわりへの気遣いも大変でしたね。芸人は気遣いが苦手な人も多いですし、それが個性になる場合もあります。コンビでいうと、みなみかわのほうが気遣いの人間で、僕はそういうことを気にしないタイプでした。ADになってからは、人の行動をよく見て、先回りできるように意識するようになりました。  反対に、まわりの人たちが苦労しただろうなと思うのが、年齢差から来るコミュニケーションでしょうか。そもそもこの業界は新卒がAD、20代半ばがチーフADという世界なんで、39歳のADというのが、まずありえません。僕は芸人になったのも遅かったですし、まわりに年下の先輩もたくさんいたので、15歳年下のチーフADも先輩と思えたんですが、やっぱり普通の人にとっては、なかなか難しいですよね(苦笑)。 ――2年半のAD 、よく持ちましたね……! 吉田:自分でも不思議です。でも、「制作になる」といって芸人をやめたのに、1年も経たずに制作もやめたら、もう誰とも顔を合わせられないだろうと思っていました。今やめたら、お世話になった先輩や慕ってくれた後輩達と一生会えないだろうなと。電話がかかってきても、取れないだろうなと思ったんです。  あと、入社した時に社長に言われた、「ADでは芸人の経験は活かせないけど、数年後に役職が変わったら絶対に活かせる時が来る」という言葉も効いていたのかもしれません。AD・チーフADを経験して、一通り仕事もできるようになった時に、社長の計らいで「ディレクターかAPかどちらか選べ」と言われました。今はAPをしています。

芸人の経験が活きるAPという仕事

元ピーマンズスタンダードの吉田寛

「APを選んだ理由は、ディレクターよりもパソコン作業が少ないからです(笑)」

――APの仕事内容を教えてください。 吉田:APという役職は、業界的には最後にできた役職らしいです。アシスタントプロデューサーの略で、ザックリいうと制作現場の全体的なサポート役です。具体的には、コンプラや著作権の確認、進行管理、予算管理、出演者対応、場合によってはタレントの出演交渉もやります。あと、ロケの時の出演者のケアとか。  昔、一緒にライブに出ていた芸人たちが、今ではテレビで活躍しているんで、ロケ現場で会うと「吉田さんか、よかった。気使わんでええし」とか言ってくれるのは嬉しいですね。 ――完全に芸人時代の経験が活きていますね。 吉田:あと、シミュレーションでも活きてたかもしれません。本番前にスタッフがタレント役になって、番組の進行を確認する作業をするんですが、僕、この時に台本にめちゃくちゃボケを追加するんです。元々ボケたいタイプなんで、ストレス発散も兼ねて、とにかくシミュレーションではボケまくってましたね(笑)。  シミュレーションでボケるADはほぼいなくて、「やりすぎだ」と言われることもありましたが、反対に「おかげで、このコーナーの方向性が見えました」と感謝されることもありました。ただ、ADがシミュレーションをしている裏で、APはタレントさんの楽屋入りのケアをします。だから、今はシミュレーションに参加できないんですよね。APになって業務が変わって、色々楽しくはなったんですが、それだけは残念です(苦笑)。 <取材・文/安倍川モチ子 撮影/川戸健治> 【吉田寛】 1979年生まれ、2013年松竹芸能入社。2005年7月に南川聡史さん(現みなみかわ)とピーマンズスタンダードを結成し、数々のライブやテレビ番組に出演。2019年2月に解散。松竹芸能を退社し、テレビ番組の制作会社に入社。現在は株式会社ディ・コンプレックスでAPとして『坂上&指原のつぶれない店』(TBS系)などを担当
東京在住のフリーライター。 お笑い、歴史、グルメ、美容・健康など、専門を作らずに興味の惹かれるまま幅広いジャンルで活動中。X(旧Twitter):@mochico_abekawa
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