更新日:2024年07月03日 15:26
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石橋静河の“濡れ場を運動に変換する”資質に驚き。出演作品を見た記者は「現代のロマンポルノ」だと思った

“濡れ場を運動に変換する”資質

同じベッドシーンでも石橋静河は、こうもダイナミックな静と動のコントラストで表現出来るのだ。日高との行為では、心の激動が濁流になって、「もっかい、いい?」とまさかの二回戦へ。これはもはや単なる性的行為を超えている。そうだな、石橋静河的な運動とでも形容したらいいだろうか? それで言うと、これは現代のロマンポルノだと思う。正確には、現代で解釈されたロマンポルノ。倒産後に再建された日活が1971年から始めた路線である同ジャンルは、神代辰巳の『濡れた欲情・ひらけ!チューリップ』(1975年)など、性の躍動を運動そのものとして捉えるものだった。日活ロマンポルノ45周年を記念した塩田明彦の『風に濡れた女』(2016年)は、現代的なアップデート版であり、男女の肉体が取っ組み合う肉弾戦が次から次へ流転し、気づけば物体と物体が接合され官能的な運動体にトランスフォーム……。みたいな画期的作品だった。それは『抱きしめたい -真実の物語-』(2014年)のような純愛映画でさえ、塩田監督の演出だと、メリーゴーランドの上下運動によってキスシーンへ移行するという具合に。 つまり、ロマンポルノ的資質とは、濡れ場を運動に変換する才能のこと。石橋静河もその系譜にある人で、変に淫らに身体を火照らせることなく、まずは物体として生々しくそこにある。官能的物体にトランスフォームする瞬間を今か今かとほとんど平常心で待ち構えているように見える。さすがの実力派である。それは例えば、伊藤健太郎との共演でリメイクされた『東京ラブストーリー』(2021年)でもきちんと折り目正しく、でもつややかに写っている。 同作では、『燕は戻ってこない』と打って変わり、東京の女性を演じている。第1話冒頭から吐息ダダ漏れのベッドシーンに挑み、その濡れ場のあと、東京の夜景が広がるホテルの窓の前に佇む赤名リカ(石橋静河)にカメラが寄り、「石橋静河」のクレジットとともにフワッと窓ガラスに顔が写る瞬間には、思わずゾクッとする(さすが三木康一郎監督の演出である)。 そう、石橋静河とは、やっぱりゾクッとする俳優なのだ。「キスしよっか」と涼しい顔してさらりと言ってのけ、『いちごの唄』(2019年)の笹沢コウタ(古舘佑太郎)同様に電子レンジの前で温めを待つ系男子である永尾完治(伊藤健太郎)を引き寄せる類似性。いざキスをすると、ちょっと微笑んだあとに、伊藤健太郎の下唇に自らの上唇を引っ付かせた高低差を爽やかなねっとり感で持続させてみせるという、したたかな細やかさは、石橋静河的な運動の豊かな変奏だろうか。ほんとゾクッとする。いや、ゾッとするくらい魅力的な才能の持ち主ではないだろうか? <TEXT/加賀谷健>
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu
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