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日本人男性がタイで“無一文”に。タニヤのカラオケ店で月400万円を売り上げるオーナーになるまで

月収は約5万円で苦しい生活を強いられる

タイ

バンコクの繁華街・タニヤ

 24歳のとき、わずかな貯金を手に再びバンコクへ渡った東野さん。しかし、いざ働き始めた旅行会社はなかなか軌道に乗らず、給料はほとんどもらえない状態。金欠に陥った東野さんは、バンコクの日本人学校で講師の仕事に就いた。だが、ビザはもらえず、月収はたった1万5000バーツ(当時のレートで約5万円)だったという。 「お金がなくて、コンビニで売っているパンの耳を食べて飢えをしのいでいました。そんな生活が続いていたある日、以前、タニヤのカラオケ店でお世話になったママから連絡がきたんです。ママの誕生日会を開くので来てほしいと言われ、参加費は1人5000バーツとのこと。お金がないので『行けない』と伝えると、ママは『タダでいいからおいで』と言ってくれたんです」  ママの誕生日会に無料で参加し、食事を楽しんだ東野さん。誕生日会が終わって帰ろうとしたとき、驚くべきことにママから5000バーツを請求されたという。 「当然、持ち合わせなんてないので『払えないよ』と言うと、ママは笑いながら『じゃあ、またうちで働けばいいよ』と言うんです。今思えば、また働いてほしいという口実だったのでしょうね」  いかにもタイらしい成り行きではあったが、それが東野さんのタイでの運命を再び変えるきっかけとなった。

カラオケ店と旅行会社の二足のわらじ生活

「ママのカラオケで働きながら旅行会社も両立しているうちに、旅行会社も軌道に乗ってきました。しばらくは二足のわらじで働いていたのですが、2017年に日本人のお客さんに『タニヤでカラオケ店の店長をやってみないか』と声をかけられたんです」  こうしてタニヤのカラオケ店の店長となった東野さん。もともとタニヤでは顔が知られていたため、すぐに人気店となったものの、ほどなくしてコロナ禍が訪れた。  2020年のことである。タイではカラオケ店を含む夜の店はすべて休業となった。最初の頃は落ち着くのを待っていた東野さんだが、家賃が払えず、カラオケ店は閉めることとなった。 「もちろん、旅行会社のほうもお客さんがまったく来なくて、しばらくは収入ゼロの状態が続きました。昨年(2023年)12月、旅行者がようやく戻ってきた頃、良い物件があると人づてに聞いて、『誰か日本人でやりたい人がいたら紹介してほしい』と言われたんです。物件の家賃や引き継ぎ条件が良かったので、それなら自分でやってみようかなと思ったんです」
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現在は人気店に
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東京都出身。20代を歌舞伎町で過ごす、元キャバ嬢ライター。現在はタイと日本を往復し、夜の街やタイに住む人を取材する海外短期滞在ライターとしても活動中。アジアの日本人キャバクラに潜入就職した著書『底辺キャバ嬢、アジアでナンバー1になる』(イーストプレス)が発売中。X(旧Twitter):@ayumikawano

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