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元「子役」「ギャルモデル」の今。父が借金4000万円を抱え…大学を中退して“選んだ道”

「借金4000万円が父親に降りかかる」大学3回生で中退

西さんは、その金額を聞いて驚いた。 「父親に降りかかった借金は4000万円で、それを聞いた母親は呆然としていました。もう兄もおらず、父の頼れる家族は私だけなので、借金絡みの話し合いの場には必ず同行していましたね」 話し合いの場に行くと、被害者意識でつらくなってしまいそうだが……。 「自分を被害者だとは考えていませんでした。私も家族の一員で、当事者だと思っていたので。どうやって解決しようか、という前向きな場にしていくつもりで話し合いには行っていました。その中で『私も家庭を助けていかないと』と感じたので、大学を休学して、就職することにしたんです。 当時は海の家のほかにも、美容商品や雑貨などの店頭販売のアルバイトをしていました。その社長に相談をしたら、Web部門の正社員にしてもらえたんです」 Web部門では主にネット通販を取り扱っていたそうだ。店頭販売より楽だと思いきや、そうではなかったのだという。 「今でこそインターネットで物を買うのは当たり前ですが、当時のネット通販は主流ではありませんでした。お客さんに買ってもらうために苦労する中、子役時代との共通点に気がついたんです」

「これからはアプリの時代が来る」3畳のシェアオフィスで起業

西真央当時はインターネットでの買い物が主流ではなく、苦戦していたという西さん。彼女が気づいた「子役時代との共通点」とは? 「子役時代のオーディションも、ネット通販も、結局は“客商売”なんです。オーディションでは『この子ならテレビに使って大丈夫だ』と安心してもらい、通販では『この会社なら買っても大丈夫だ』と安心してもらうことがゴール。 でも、インターネットではオーディションと違って相手の顔が見えません。そこで、安心してもらうために、お客様とのコミュニケーションを大事にしていました。ひとりずつにメールをお送りしたり、『こんな人が働いているよ』というブログを書いたりしていましたね。 それと並行して、プログラミングの勉強もしていました。高校生の間でTikTokが流行るようになって、親の世代もLINEを使い始めていたので、これからはアプリの時代が来ると確信したんです。 会社でもアプリ事業を始めるように勧めたのですが、『うちはWebだから』と断られてしまって。それなら自分でやろうと会社を辞めて、26歳で起業しました。まずは大阪で3畳のシェアオフィスから3名で、現在の『株式会社アンドエーアイ』の前身である『株式会社ドリグロ』をスタートしました」
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資金援助はナシ「1年目の売上はゼロだった」
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ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother

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