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「舌がん」ステージ4から50代で転職活動。5年生存率“約16%”でも開き直れたワケ

退院に向けて欠かさなかった「散歩」と「病棟でのDJ」

脱線3

M.C. BOOさんは「脱線3」のメンバーとして活動していた(本人提供写真)

その後は退院に向けて、喋る練習として絵本の『北風と太陽』を毎日読むことと、食べ物を飲み込む練習を繰り返したという。加えて、体力を落とさないために心がけていたのが「病棟内の散歩」だった。 「ベッドでずっと寝てると、気分も上がらないんですよ。本やiPadなども持っていったのですが、全然見たいとは思いませんでした。また、痛み止めと一緒に睡眠薬も処方されたんですが、僕には全然合わなくて悪い夢ばかり見るんです。 だからこそ、ご飯を食べて、薬を飲んで、ヘッドホンで音楽を聴きながら歩くのを日課にしていました。精神的に不安定で泣きながら歩いて、歩き疲れたら、倒れ込むようにベッドに入って眠る。医者からも『BOOさんのように歩く人なんていないですよ』と驚いてましたが、できるだけ体を動かすのを意識していましたね」 ちなみに散歩中は、ハードコアからヒップホップ、ボサノバなど、色々なジャンルの音楽を聴いていたとか。さらに入院中は、病棟で流れるBGMのDJを担当していたというエピソードも。 「病棟には、夜な夜な遺書を書く老人や、ステージ4のがん治療をしながら会社で働くサラリーマンなど、さまざまな境遇の患者さんが集まっていました。本当に皆さん頑張っていて、自分に何ができるかなと考えたときに、病棟の入口にあるナースステーションに小さなCDラジカセがあったんですよ。 そこで、僕が病棟が良い空気になる音楽を選曲、なんとなく励みになったらいいなと思って、時間帯や曜日に合わせて、クラシックやアニメのオルゴールメドレーのCDの中からDJしていました」

50代で人生初の“ハローワーク通い”も。再就職に向けた新たな挑戦

M.C. BOO術後も歩くことを続けたことで、体力が落ちず早期に食べ物を飲み込むことが出来たので、通常は1〜2ヶ月の入院期間を要するところを、25日ほどで退院できたとM.C. BOOさんは話す。 そして、運命の退院の日に主治医の先生が、ベッドにいる僕と妻のところに来て、「結果的にはしこりはあったものの、癌は転移していませんでした」と、笑顔で教えてくれた。 退院後はアマナに戻って、引き続きラルフ ローレンなどのアパレルブランドのクリエイティブや、ソニーピクチャーズの映画タイアップなどの仕事に従事していた。 こうしたなか、2024年で退院から5年が経ち、寛解を迎えるにあたって「新しいことにチャレンジするのは今しかない」と思い始めるようになる。 「次の就職先のあてもないまま、2024年1月末付けでアマナを退職しました。フリーでも仕事を続けていましたが、正社員として働ける場所を探すために、多くの転職サイトにも登録しましたし、人生で初めてハローワークにも通いましたね。 でも、なかなか就職先に恵まれなくて、『自分は社会に必要とされていない』とネガティブな思考回路になる場面もありました」 現在、M.C. BOOさんが働くヘラルボニーには、IPキャラクターのリブランディングの仕事をご一緒した方がへラルボニーに入社され、声をかけていただいたのがきっかけになる。ちょうどアマナ退職の日。本当にタイミングをあわせたように。 さらに、ABEMAのヒップホップ番組にヘラルボニーの創業者である双子の松田兄弟(松田崇弥さんと松田文登さん)が出ていたりと、ふたりがヒップホップ好きなことがわかったこともあり、親近感を抱くようになった。
へラルボニー

写真は、へラルボニーの採用サイトより

「ヘラルボニーの社員たちの入社エントリが載っているnoteを読んでみると、末期がんを宣言されてから、奇跡的に命をつなぎ止め、車椅子で働いている女性がいて、僕と同じ“がんサバイバー”がいる会社というだけで、すごく感銘を受けたんです。それに、『社会を前進させる』『異彩を放て』という熱いメッセージにも感激して2024年7月にヘラルボニーへ入社することに決まりました」
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いま自分の置かれている状況に感謝すること
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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