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SKE48・青木詩織「焼津に生まれてよかった」最後の凱旋ライブで伝えたかったこと

「焼津に生まれてよかった」

最後のMCの時間で青木は、「加入した頃からの夢が地元でお仕事をすることだったんです。昇格してすぐに『やいづ親善大使』のお話をいただいて、地元でたくさんお仕事をさせていただきました。それだけじゃなくて、アイドルではなかなかないマグロの解体ショーや車両の広告ジャックだったり、いろんな経験をさせてもらえて、最後の最後に『やいづ親善大使』に任命していただいた会場で凱旋ライブができたことがとってもとっても幸せです。焼津に生まれてよかったと改めて思いました」と感謝を述べた。 そして、共にステージに立ったメンバーたちへ向けて、「ここにいるメンバーのほとんどが他県から名古屋へ出てきて頑張っている子たちで、自分の地元でお仕事をしたいと思っている子もSKE48にはたくさんいます。みんなが地元で夢をたくさん叶えられたらいいなって思います。SKE48は私が卒業してもまだまだ続くので、これからもSKE48のことを応援し続けてほしいし、今日をきっかけに焼津のことを好きになって帰ってくれたらなって思います」と締め括った。
SKE48・青木詩織「焼津に生まれてよかった」最後の凱旋ライブで伝えたかったこと

「魚河岸シャツ」を羽織り最後の楽曲『DA DA マシンガン』へ

いよいよ最後の楽曲を前に、焼津でのライブには欠かせないご当地シャツ「魚河岸シャツ」を羽織ったメンバーたち。深く深呼吸して『DA DA マシンガン』を全力でパフォーマンス。しんみりとさせずに、最後の最後までやりたいことを詰め込んだ完全燃焼系ライブとなった。
SKE48・青木詩織「焼津に生まれてよかった」最後の凱旋ライブで伝えたかったこと

鳴り止まぬコールと拍手がメンバーへ贈られた

アイドルとして活動してきた12年。加入して程なく当時の中心メンバーが卒業し、“組閣”でグループの体制が変化。それから「NHK紅白歌合戦」、ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム ナゴヤ)コンサートと目まぐるしく駆け巡りながら、ある日突然劇場公演に出られないというピンチにも見舞われた。無事にTeam KⅡへ昇格しても、心のどこかに不安を抱え、それが表に出てしまったことも何度もあった。それでも、「選抜総選挙でランクインしたい」、「選抜メンバーになりたい!」と目標を語り、全てが叶ったわけではないが、SHOWROOMやTikTokなど、今の自分にできることをコツコツと紡ぎ、いろんな形で実現させてきた。多くの後輩たちに支え、支えられ、今では誰よりもメンバーを理解できる先輩へと成長した。アイドルを卒業し、次はどこへと向かうのか? 彼女の未来はまだ内に秘められている。 <取材・文・撮影/安藤龍之介>
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凱旋ライブ前の青木詩織にインタビュー
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