「バイトは全て辞めた」“軽トラキャンピングカー”で生活する30歳芸人。苦しい時期を救ってくれたチャンス大城の言葉とは?
“売れるまで軽トラキャンピングカー住みます芸人”として、2021年から軽トラキャンピングカーで生活を続けているお笑いコンビ「コンピューター宇宙」はっしーはっぴーさん(30歳)をご存知だろうか。
彼はなぜ芸人を志し、軽トラキャンピングカーで暮らすようになったのか。今回は、詳しい経緯について直撃した!
生まれは大阪だが、小学校低学年から神奈川で育ち、友達とコンビを組んで漫才をするなど、目立ちたがり屋な少年だった。とはいえ、「コアなお笑い好きではなかった」と話す。
「芸人って誰かに憧れを持って目指した人が多いけど、僕は特にないですね。テレビに出れるようになってからもいろんな芸人さんに会えて、嬉しいことは嬉しいんだけど、憧れというよりライバルって感じですね」
はっしーはっぴーさんがお笑い芸人を目指した理由を聞けば、「取捨選択」の結果だとキッパリ。
「とにかく『目立ちたいな』と(笑)。進路を考えたときに、容姿がカッコよかったらジャニーズだっただろうし、歌がうまければミュージシャンだったと思う。そういうなかで取捨選択して、『お笑いならばイケるかも?』って」
高校卒業後、松竹芸能の養成所に通ったはっしーはっぴーさん。数あるお笑い養成所の中から、松竹芸能を選んだのは「どこよりも学費が安かったから」。
「当時は松竹の養成所を卒業したら、ほとんどが所属できたんですよ。ダメでも仮所属で1年何かしらお手伝いをしたら所属できる。よっぽど面白くないとか問題がなければ所属できる環境だったんですが、僕のコンビは所属できなくって……」
その頃にコンビを組んでいた相方は、結婚して子供が産まれたばかりだった。そんな事情から活動を続けることが難しく解散してしまった。そして次に考えたのは、新しい相方を探すことではなく……。
「養成所の中で、松竹の次に安かったのが今所属している太田プロでした(笑)。太田プロの養成所は100人ぐらい入学者がいるんですが、卒業できるのは20組とかで、そのうち所属できるのは7組でした」
狭き門をくぐり抜け、見事に所属することができた。それを本人はこう振り返る。
「僕は面白いっていうよりも19歳でとにかく若くて元気で『なんでもやります!』って言ってたのが評価されたみたいです。『お前はなんか元気でいいぞ!』って(笑)」
最近では、メディアで見る機会も多くなってきたが、本人曰く「25歳までには絶対に売れるだろ!」と信じて疑わなかったようだ。しかし、現実はなかなか厳しかったそうだ。

はっしーはっぴーさん
「目立ちたい」芸人を目指した理由は取捨選択の結果

養成所を選ぶ基準は「安さ」だった
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720
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