更新日:2025年10月10日 13:25
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「水害列島」日本の正体。気象災害は50年で5倍に増加…1500年の“水害史”と気象変動の真実

 9月11日、東京と神奈川を局地的に災害級の大雨が襲い、多くの建物に被害が出た。  近年、こうしたゲリラ豪雨や線上降水帯、台風などが各地に大規模な被害をもたらしている。  なぜ日本は地震以外にも台風や洪水などの水害が多いのだろうか? 京都大学名誉教授で、地震、噴火、台風など自然災害の警鐘を鳴らす「科学の伝道師」として活躍し、先だって『災害列島の正体 ー地学で解き明かす日本列島の起源』を上梓したばかりの鎌田浩毅先生が、日本の水害の多さについて解説する。

日本の水害増は今に始まった話じゃない!?

 9月11日、東京と神奈川を局地的に災害級の大雨が襲い、多くの建物に被害が出た。  近年、こうしたゲリラ豪雨や線上降水帯、台風などが各地に大規模な被害をもたらしている。  日本は「山の国」、「海の国」であるとともに、「川の国」でもある。大洋の湿った空気で雨を降らせる雲ができ、日本の山間に大雨を降らせると、その水が大量に川に流れ込んで、災害が発生する。日本は「水害の国」なのである。 「洪水」と「水害」は混同されることがあるが、意味は異なる。洪水とは単に川の水の量が極端に増えた状態である。河川敷にあった野球場や公園がすべて水の下に浸かってしまうほど、川が増水した状態が洪水だ。  いっぽう、「水害」は洪水によって堤防が決壊したり、川が氾濫したりして、住宅地や農地などに被害を及ぼす「災害」を指す。仮に人が住んでいないところに洪水が起こり、水があふれたとしても、人への被害がないなら水害とは言わない。たとえば最近の河川敷は調整池として、水害を防ぐ役割を任されていることが多い。

1500年続く水害との戦い

 古来、日本人は水害や暴風に悩まされてきた。古くは1500年も前から水害などの記録が残されている。江戸時代の後期には、幕府の命により水害の多かった大阪・京都の町奉行所には「川奉行」「土砂留め奉行」といった役職が設けられ、藩政の主要課題のひとつとして治水にあたっていた。各地域が独自の知恵と土木技術を駆使し、災害から身を守る方法を研究し、対策を講じてきたのである。  明治期には死者・行方不明者1359人を出した1910(明治43)年の関東大水害が起こった。利根川などの主要河川が氾濫し埼玉県平野部全域が浸水し、東京の下町にも被害が出た。  大正期には死者・行方不明者1324人を出した1917(大正6)年の大正六年台風による高潮災害が起こった。各時代で大規模な水害が発生し、その都度、治水計画が策定されてきた。  昭和20 年代から30年代前半にかけては、台風による大きな災害が相次ぎ、多くの人的被害を出した。そのため堤防の強化、砂防堰堤の整備など水害への対策が進められてきた。同時に、気象予測技術や情報伝達技術の発展など防災を巡る環境が整備されていったのである。  ところが、大規模な水害は依然として毎年のように繰り返されている。21世紀に入ってからも、日本では毎年のように人的被害が発生するほどの水害が発生している。  世界でも、WMO(世界気象機関)の2021年の報告書によると、暴風雨や洪水、干ばつなどの気象災害の発生件数は1970年から2019年の50年間で5倍近くに増加しているという。そして台風や洪水といった気象災害が、発生件数・経済損失ともに最も影響が大きい災害である。

『災害列島の正体 地学で解き明かす日本列島の起源』(扶桑社新書)

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どうすれば水害の被害を減らせるか。6つのポイント
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「列島」の正体を知り、「未来」の災害に備えよ!

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