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【提言5】新都市建設と集落再生の両立を!

 16年前の大震災は、家族と住居を失った被災者も、神戸市長田区のケミカルシューズ工場勤務者以外の大半は大阪を始めとする職場が無事だった。今回は違う。津波襲来で宮城、岩手の三陸地域も、原発汚染で福島の浜通りも、農林水産業だけでなく商工業も復興には長い年月を必要とするだろう。 「被災地での初期対応は、寒さを防ぎ・空腹を満たし・夜露を避ける衣食住。そのための物資・食料・避難所です。でも、中長期的には『意職住』。職場と住居が確保されて初めて、人間は生きる意欲を取り戻します。それこそは哲学と覚悟を持った指導者の下に国家が指針を示さねばなりません」  田中氏は北上高地、阿武隈高地、那須高原に”職住近接の新しい居住空間”建設を提示する。それは背広姿へと戻った菅首相が「全国民の英知を結集し、未来の夢を先取りするエコタウン建設を」と4月1日に述べ、逆に国民は脱力を感じた、実体なきハコモノ公共事業とは似て非なる内容だ。 「ルシオ・コスタ、オスカー・ニーマイヤーの”偉才”建築家を起用して1960年、標高1100mの高地に出現したブラジリアは僅か27年後には世界遺産に登録されました。安藤忠雄、磯崎新の両氏に最後の御奉公をいただきましょう。甚大な被害を受けた海岸に30mの堤防を建造して人々を戻すのが”新しい公共”ではないのです。平坦な海岸沿いの居住地は湿地帯として再生し、ラムサール条約登録を目指す。リアス式海岸沿いの漁村も、居住地は高台に設け、エレベーターで結ぶ。そして、船舶が建造物に乗り上げた石巻や気仙沼の一廓は、世界遺産として保全すべき。被災者を傷付けるなと情緒的批判もあるでしょうが、津波の猛威を後世に伝える立派な歴史学習の場として、世界中から人々が訪れる史跡となるはずです」 復興のための田中康夫ビジョン -【6】
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