「リア充の自己目的化」がもっとも不毛である(by宇野常寛氏)
―[「ポジティブ」という病]―
巷に溢れるポジティブシンキングのススメ。確かに、前向きであることは悪いことではない。が、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もあるわけで。各分野の知識人に“ポジティブ病”の原因と処方箋を伺った
◆「カルチャー的文脈」から考える“ポジティブ”論争
SNSに溢れるポジティブな投稿など、ダダ漏れ気味の前向きな自分アピールに「何だかなぁ」と違和感を覚える人が少なくないのは、前述(https://nikkan-spa.jp/366015)の通り。
しかし、批評家の宇野常寛氏は、過剰なまでに前向きな“ポジティブ教信者”と、それに対するアンチの戦いの不毛さを説き、「アンチ・ポジティブ教信者は、ポジティブ教信者に絶対に勝てない。これは真実」と断言する。
「愛の対義語は無関心とも言いますが、アンチ側がポジティブ教信者をどう叩こうとも、そこにあるのは僻みや憧れ。放っておけばいいものを、そういった感情を抱いてしまった時点で負けですよ。キツネが手の届かないブドウを『どうせマズいだろう』と諦める、『すっぱい葡萄』という寓話がありますが、それと同じこと。彼らへの批判は、負け惜しみにしかなりません。そうなってしまったら、努力してポジティブになるか、彼らを全く気にしない無我の境地を手に入れるかの2択しかない」
宇野氏曰く、この勝ち負けは、喩えるならじゃんけんのグーとパーのようなもの。人間としての優劣の問題ではないし、「誰もがポジティブになる必要はそもそもない」。
が、ポジティブになれないことにコンプレックスを抱いてしまう人は、いっそチャンス到来だと思い、その具体的テクニックを盗めばいいと宇野氏は言う。割り切って、その精神性は脇に置き、引いた目で彼らを観察するのである。
「例えば、FBで前向きな投稿で凄い数のいいね!を集める“いいネ申”を冷静に見てみると、やはり絶妙な時間、文字数、文体で、それっぽい投稿をしていたりするんですよ。それはやはり、ある種のスキルの高さでもある。そのテクニックは自身の仕事などへのパフォーマンスを引き出す“処世術”として生かせなくもない。それを学び取ればいい」
確かに、やっかむよりはよっぽど健全。ただ、「上辺だけマネをすると、さらにイタい人になりそう(笑)」だから、注意は必要だ。
そして、なにより気をつけるべきは、「リア充が自己目的化しないようにすること」。宇野氏が唯一危惧するのが、この点である。
「週末のバーベキューを楽しむ」のではなく、「週末のバーベキューを楽しむ俺」が目的になったら本末転倒。ポジティブ思考だって同じこと。前向きである「自分」が自己目的化したら、なんのための前向きかわからない。
「ゼロ年代に出てきたライフハックという考え方は、より快適により効率よくパフォーマンスを向上していこうというもの。この点だけ考えれば、ポジティブ教信者vsアンチといった不毛な戦いからも脱することができますよ」
【宇野常寛氏】
1978年生まれ。批評家。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。批評誌『PLANETS』編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』、石破茂氏との共著に『こんな日本をつくりたい』がある
― 「ポジティブ」という病【7】 ―
―[「ポジティブ」という病]―
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