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昔は<苦しんでいる大人を見物する>という遊びがありまして…【平山夢明】

― 週刊SPA!連載「平山夢明のどうかと思うが、ゾゾ怖い」 ―  新年も明けてしまったようですが、この原稿を書いているのはまだ年末でして、この時期、頑張るのはお歳暮配達の人やら紅白の着ぶくれ歌手の造形屋さんと相場は決まってます。子供の頃、団地に行くと○帽のおじいちゃんが死にそうな顔で配達してるんです。当時の団地ってのはエレベーターなんかないわけですから、ひたすら人力で昇るしかない。しかも当時のお歳暮は<醤油>だの<蜜柑>だのも交じっていますから、もうじいさんは体力の限界を振り切って半ば昇天しながら上を目指すわけです。俺らはそれを柵に腰掛けて見物するわけです。  昔は<苦しんでいる大人を見物する>という遊びがありまして、工務店や整備工場なんかで丁稚扱いでコキ使われたり、工具で頭を殴られたり、安全靴で脛を蹴られたりする大人を見るという風習があったわけです。で、もう爺さんは上と下への行ったり来たりで日なたの烏賊みたいになっちゃってた。で、こっちに来て<おまえら、荷物を運べ>って云うんです。 <厭だよ>というと。<じゃあ、サトウはいないか? B棟のシキネはいないか>と云うので、ちょっと考えてデパートの包み紙の時は<あ、ウチだ>って手を上げてたんです。そしたら、爺さんは<ちゃんとお母さんに渡せよ>ってくれる。オイラたちはそれを公園に持っていって山分けしたんですけれど、ネクタイとかバスタオルなんてつまんないのはゴミ箱に捨てて、食い物を食べてましたね。暫くすると抗議がいったらしく爺さんは俺たちを睨むだけ睨む、ただのなにもくれないつまらない人になってしまいましたけどね。 清野とおる あと昔はお金もないし、ファミレスもコンビニもないので、とにかく腹が減って仕方がない<肌色ゾンビ>のような餓鬼も多かったんです。で、なんとかして大人から金を貰わなくちゃやっていけないんで、よく<蹴飛ばされごっこ>なんかをしてましたね。それは急いでそうな大人にこっちからぶつかっていって<痛いよ、痛いよ>と泣くんですね。そうすると急いでいる人ほど<これでなんとかしなさい>って、お金をくれるんです。危険なのはおばさんと工員や職人、間違ってぶつかると<おまえらタカリか!>と拳骨を喰らったりしますから、なるべく身なりのイイのを選んで、ぶつからなくちゃなんない。でも、そんなのがなかなか見つからない時にはバス停の前に目つきの悪い子供がズラズラと並んで降りてくるのを睨んでいたんですから、本当にのどかなものです。  で、そんな時、人にぶつかったり、物をねだったりするのに嫌気が差したオイラはただ単に<お金頂戴>って云ってみたら百円貰ったんです。そしたら、周りの奴が<なんだ、それで良いんだって>と今までの苦労がバカみたいだってなって、金を持ってそうな人を見つけると五、六人で寄っていって<お金頂戴!>って云ってましたね。で、当然のことながら<競馬とケイリンの街カワサキ>の子供ですから、それを、すぐ駄菓子なんかに換えるのは男として下の下なんです。それは当然、そこから増やす。増えすぎて困るほどに増やすことを考えるんですね。  で、考えたのが<シノギ>って遊びで、要は金でオハジキするだけなんですけどね。学校の机の上で賭けたい奴らが十円を好きな場所に置いてジャンケンで勝った順番で弾き、相手を机から落としたらその分、貰えるんです。で、ラストに残った者同士が今まで取った分を全部賭けて戦う。一騎打ちになるわけです。これは流行った流行った。とにかく、一日で五百円<現在の子供価格で五千円>は稼げましたからね。すぐ校長室に呼び出されましたけど。ほんと、シノギもどうかと思いますが、ゾゾ怖いもんです。 【平山夢明】 平山夢明ひらやまゆめあき●’61年、神奈川県生まれ。’10年刊行の長編『ダイナー』(ポプラ社)が、第13回大藪春彦賞を受賞。前連載をまとめた『どうかと思うが、面白い』も、清野とおる画伯との特別対談やアメリカ旅行記付きで、小社より絶賛発売中! <イラスト/清野とおる 撮影/寺澤太郎>
どうかと思うが、面白い

人気作家の身辺で起きた、爆笑ご近所譚

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