松井秀喜引退式の舞台裏 イチローと交わした言葉とは
―[松井秀喜引退式]―
7月28日、ヤンキースタジアムの外には、試合開始3時間以上前からすでに長打の列ができていた。
5月に国民栄誉賞を受賞した松井秀喜氏が、ヤンキースと1日だけのマイナー契約を結び引退セレモニーを行う日は、先着1万8000人に松井氏のボブルヘッド人形が配られるとあって、記念の人形を手に入れようと多くのファンが早くから並んでいた。恐らくヤンキースタジアムにこれほど日本人ファンが多く詰めかけた日はかつてなかっただろう。
球場に到着した松井氏はそのファンの姿を「もちろん来る途中で球場の周りは見ました。懐かしさとともに、本当に嬉しいなという気持ちで」と話し「一つ感心したのは、よく捨てずに55番のシャツ持っていたなと」とジョークも付け加えた。
もう一度チームの一員となるというその日、ヤンキースタジアムに足を踏み入れたときの気持ちは「球場に入った瞬間から泣きそうでした」という。駐車場から球場地下の長いコンコースを通って、まず記者会見場へと向かった。会見場の手前でブライアン・キャッシュマンGMやジーン・アフターマンGM補佐に迎えられるというVIP待遇を受け、しばらく立ち話をした後で会見場入り。会見ではまずキャッシュマンGMがスピーチし、アフターマンGM補佐が1日契約の契約書を披露した。松井氏本人と球団と博物館用に同じ契約書が3通用意されていた。
会見場は、日米の報道陣であふれかえっていた。テレビカメラだけで10台、記者やリポーターは100人以上おり、普段は広々としているスタジアムの会見場が狭く感じたほどだ。
「ヤンキースというチームは僕にとってはずっと憧れでした。憧れのチームに7年間も在席させてもらって、その日々というのは本当に幸せな日々でした」
冒頭のスピーチでそう語った松井氏は、その後の質疑応答で、ユーモアを交えながら一つ一つの質問に真摯に答えた。
球場の裏で会見が行われるちょうど同じ時間、フィールドではヤンキースの練習が始まっていた。
故障者リストからこの日復帰したデレク・ジーター内野手もチームメイトと一緒に練習に参加していたが、そこに「6番・右翼」でスタメン出場予定のイチロー外野手の姿は見当たらなかった。ただそれは珍しいことではなく、デーゲーム前にチーム練習があっても1人だけ参加しないことはこれまでにも何度となくあった。毎日必ず行う独自のルーティーンを持っているイチローは、試合開始までの時間に余裕のないデーゲームの日には、ルーティーンを優先することを認められている。実績のあるベテランを束縛しないやり方は、ヤンキースという球団の一つのカラーだった。
松井氏のセレモニーは試合開始の20分前から始まった。バックスクリーンにヤンキース時代の名場面集が流され、やがてセンターフェンスの扉からカートに乗った松井氏が登場するとスタンドに詰めかけていたファンから大きな歓声が上がった。球場をゆっくり半周すると、ホームプレートの前に用意された机と椅子に座り、ファンの前で契約書にサイン。額に飾った55番のユニフォームをキャプテン・ジーターから贈呈され、選手やコーチらと一緒に記念撮影、最後は55番のピンストライプを身にまとった始球式で締めた。
「恐らく今日の一瞬は生涯忘れることがない一瞬になるだろうし、僕が一番憧れた場所で選手として終われるというのは、選手としてこれ以上幸せなことはないと思います」
松井氏は感慨深げにそう言った。
「ヤンキースは憧れのチーム、ヤンキースタジアムは憧れの場所」
そんな言葉を何度か口にし、野球少年に戻ったかのようにうれしそうな表情をしていた。
⇒【後編】に続く「【松井とイチロー】少ない言葉に凝縮された関係」 https://nikkan-spa.jp/483650 <取材・文/水次祥子>
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