南三陸町・ホテル女将「町民を救った180日間」【後編】

ホテル観洋

ホテル観洋 http://www.mkanyo.jp/

自らも被災しながらホテルに600人の被災者を受け入れ、衣食住を提供し続けた宮城県・南三陸町の「ホテル観洋」。女将の「町民を救った180日間」と、地方経営者として三陸復興に尽力する現状を追った――

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「人口流出に歯止めをかけ、地元の資本を守る」

ホテル観洋の女将、阿部さんは言う。

「震災直後からどんどん人が減っていました。そんなときに、なんとか若い人がはつらつと働く姿を見せないと、どんどん若者がいなくなってしまう。そこで水も限られていましたし、紙コップに紙皿という状態でしたが、4月23日にレストランを再開しました。皆さん喜んでくださって……。少しでも明るい顔、再開の実績を作ることが、人々を南三陸町につなぎ止めることになると思ったからです」

レストランスタッフ

水も制限される中、紙皿と紙コップでがんばって営業再開したレストランスタッフ

「被災地は待ったなしです。スピード感がなければせっかく守られた命がどうなってしまうかわかりません。インフラが整備されるのを待っていたら、民間企業はみなつぶれます。実際、被災直後は『廃業』という言葉しかありませんでした。経営者には失業手当はありませんし、借金のない経営者はいないでしょうから、2重ローンの問題も出てきます。地元の経営者が頑張って受け継いできた暖簾が消えてしまったら、町を作り直そうとなったとき、全国チェーン店の看板しかなくなってしまう。もうすぐ失業保険も切れ、地元の企業が再開しないと人々は出稼ぎに出てしまうでしょう。経営者がすぐに動き出せずにいます。町の中で、今、立ち上がりたい人が立ち上がれないのが残念です」

新入社員

来春も多くの新入社員を採用。「若い人たちが生き生きと働く姿がみんなに元気を与えてくれます」と女将さん

最後の被災者がホテル観洋から仮設住宅に移ったのは9月1日。ホテル観洋はすでに通常営業を再開し、閉じこもりがちになるお年寄りのために、町の仮設住宅を巡回する「観洋ぐるりんバス」の運行などを行っているが、町はまだがれきが撤去された更地状態で、「復興」はまだ遠い。

被災地へ来て、被災者の話を聞いてください。行政も大変でしょうが、この1000年に一度の災害というときに『前例がない』『規則ではこうなっているからダメ』と震災前のルールでしか動かない。ましてや国の方針が決まらないので、町も高台移転なのか地盤沈下したところをかさ上げなのか、方向性を決められない。そして予算も見えないので、何一つ手をつけられない。被災者は1か月方針が伸びれば、1か月眠れない夜を過ごさなければいけないんです」

ホテル観洋は気仙沼にも2か所ホテルを経営しており、女将の父親が創業者。父である会長は、昭和35年のチリ地震津波で被災経験があるため、ホテルは高台に建てた。会長はさらに4年前、自宅を鉄筋コンクリート作りにし、外階段をつけて近隣住民がいざというとき非難できるよう改築。しかも近隣住民を集めて避難訓練もおこなっていた。実際、今回の津波では、近隣住民が会長宅屋上に避難して20人が助かっている。

裸一貫、魚の行商から始め、水産業のほか観光業を興こした会長の地域に根ざし地域をもり立てる経営理念が女将にも受け継がれている。

露天風呂

眺望が売りだった露天風呂は津波で被害を受けたが、新しい露天風呂が7月24日にオープンした

取材・文・撮影/週刊SPA!編集部  写真提供/ホテル観洋(http://www.mkanyo.jp/)




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