特攻服から見える不良ファッションの思想と歴史
―[今どきヤンキーファッション考現学]―
◆特攻服から見える不良ファッションの思想と歴史<岩橋健一郎氏>
私の記憶では、確か特攻服の発祥は’70年代初め、都内の暴走族「M」が着だしたのが最初でしょう。当時の暴走族はニュートラ上下やドカジャンといったスタイルでしたが、「M」は右翼団体が着ていた隊服を取り入れて、それが特攻服のハシリとなったんです。だから’70~’80年代の特攻服の刺繍文字には「憂国烈士」といった右翼系の言葉が多いんです。初めは「戦闘服」などと呼んでましたが、時代が進むにつれ「特攻服」と呼び名も変わりました。
私が着ていた’80年代頃は、今のようにゴチャゴチャしておらず、シンプルに左腕と左胸と背中のみに刺繍というのが主流でしたね。胸の上には例えば「横浜」などと地元の名前が入っていて、腕には肩書。背中には着る本人の「思想」を。例えば「甦れ大和魂」「七生報國」など。この時代においても右寄りのメッセージが主流でした。
現在は右翼的な思想性は薄れましたが、その切り替わりは平成に入ってから。暴走族はしだいに「右翼系」から「仁侠系」になっていったんです。だから今度は「◯◯一家」というような文字を入れるようになりました。現在は自由度も高く「俺の息子は暴れん棒」のような“個性豊かな”刺繍も増えています。今は刺繍をたくさん入れるのが主流で、その分高価になってます。一着20万~30万円なんていうのはザラですね。
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