鉄人・小橋建太が逸材・棚橋弘至と筋肉トーク! ジャイアント馬場が筋トレを避けていた理由とは!?
7・5大阪城ホールで矢野通との一騎打ちに臨む新日本プロレスのエース、棚橋弘至。その棚橋が初のフォトブック『1/100 The one-hundredth(ジ・ワンハンドレッス)』(扶桑社)の中で、棚橋の立命館大学プロレス同好会の先輩・ユリオカ超特Qをホストに、高校時代からファンだという鉄人・小橋建太と激熱トークを繰り広げている。
このフォトブックでギリシャ彫刻のように立派な肉体美を披露している棚橋だが、あくなき肉体改造への探究心で知られる小橋と熱望していたのが「筋肉トーク」。当時、どんなトレーニングや食事をしていたのか棚橋が小橋に“取材”しようとしたところ、故ジャイアント馬場さんの仰天エピソードが飛び出して……!
小橋:トレーニングも、昔はとにかく根性だったから。「疲れてもやれ」「ケガをしたら練習で治せ」って言われてたくらい。
棚橋:痛めますね、余計に。
小橋:治るわけない(笑)。でも馬場さんの教えだしね。
棚橋:小橋さんの時代は、ウェイトトレーニングの情報も今ほど公開されていなかったですよね。
ユリQ:馬場さんから「トレーニングするな」と言われていたとか。
小橋:馬場さんがたまたま路地裏で、すごい筋肉の男たちがキスしていたのを見てしまって。それで誤解したみたい(笑)。そりゃあ、馬場さんみたいに身長があればいいけど、オレはそこまで身長があるわけじゃないから、横に大きくするしかなかった。
棚橋:僕も一緒です。
小橋:ただ、トレーニングの成果がリングで出てきて体も変わってきたら、馬場さんも「あれは悪いことじゃないんだ」と気づいてくれて(笑)。軽井沢の別荘で、「バーベルやるか!」と言われて、一緒にやってたな。
棚橋:膝のケガとの付き合い方はどうでした? 小橋さんの歴史でもあるじゃないですか。膝にボルトを入れたり。
小橋:膝が痛くて、寝られないことがよくあったよ。痛み止めの薬はあったけど、最後は3錠のんでも効かなかった。薬に対する免疫がついちゃうんだよね。オレがまだ若手で馬場さんの付き人をやっていたとき、試合前の練習で半月板を打ちつけて歩けなくなったんだ。馬場さんから「レスラーはどんなときも休んじゃいけない」と教育を受けていたから、休む気はなかった。だけど、足を引きずっているオレを見て馬場さんが「今日は休め」と。オレは「出ます」。「休め!」「出ます!」「休め!」「出ます!」って押し問答になって。しまいには馬場さんが「このオレが休めって言うんだから休め、このヤロー!」って怒って。
棚橋:あの馬場さんが激昂!
小橋:「今日来てくれるお客さんはお前を観にくるんじゃない。ジャンボ鶴田、天龍(源一郎)、タイガーマスクを観にきてるんだ。だからお前は休める。だけどお前がトップに立ったときはもう休めないんだよ。だから今は休め!」と。そのころのお客さんはオレのことなんてまだ知らないから。でもそれが悔しくて。その後、スタン・ハンセンにパイプ椅子で腕をぶん殴られて22針縫った(1995年8月秋田県での試合)とき、病院で処置を終えてホテルに戻ったら、馬場さんがロビーで葉巻を吸っていて。さすがにオレも翌日の試合は欠場されられると覚悟したよ。「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げたら、馬場さんはオレの顔を見てニコッと笑って。翌日のメインイベントには、オレの名前が入ったままだった。馬場さんがオレのことをトップ選手だと認めてくれたのかなって。
小橋とジャイアント馬場のエピソードに、棚橋とユリQは「熱いなかにも爽やかさが光る、秀逸エピソード」と感動。激熱トークはまだまだ続いたのであった……。〈構成/あっきー&ならこ 撮影/望月孝 撮影協力/SUNDAY〉
【棚橋弘至】
1976年、岐阜県生まれ。1999年、立命館大学法学部卒業後、新日本プロレスに入門。同年10月10日、真壁伸也(現・刀義)戦でデビュー。
デビュー後はその日本人離れした肉体と、飾らないキャラクターで団体最高峰のベルト、IWGPヘビー級王座にも何度も君臨。 第56代IWGPヘビー級王者時代には“歴代最多防衛記録”である“V11”を達成した。団体のエースとして、幾多の名勝負を繰り広げている。
・公式ブログ http://ameblo.jp/highfly-tana/
・Twitter @tanahashi1_100
・棚橋選手のTシャツなどグッズも充実「闘魂ショップ」⇒http://shop.njpw.co.jp/
【小橋建太】
1967年生まれ、京都府出身。全日本プロレスへ入門した翌年の1988年にデビュー。1996年に冠ヘビー級王座を獲得したのち、ノアへ移籍(2000年)。2003年にはGHCヘビー級チャンピオンとなり、その後13度の防衛に成功した。2013年 現役引退。日本武道館で開催された引退試合には棚橋弘至も出場し華を添えている。引退後は『Fortune Dream』をプロデュースするなど多方面で活躍中。
・公式サイト http://www.fortune-kk.com/
・「小橋建太オフィシャルライブツアー2015~繋がりの輪~」が7月20日まで全国六都市で開催! 詳しくは⇒http://www.fortune-kk.com/pages/201506talk.htm
【ユリオカ超特Q】
1968年生まれ、兵庫県出身。大竹まことに師事後、漫談家として独立。熱狂的なプロレスファンであり、立命館大学に入学後、プロレス同好会(RWF)の旗揚げにも参加。実況を担当し話術を鍛えたことにより、芸人の道を志す。のちにRWFに入部することとなった棚橋弘至は後輩にあたり、その縁からプロレスイベントのMCを担うなど、現在も親交が続いている。
・公式ブログ http://ameblo.jp/yuri-q/
・90分ノンストップ漫談単独ライブ「第十七回Q展」を6月28日(日)開催!
15:00~ 19:00~ 西新宿・関交協ハーモニックホールにて
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『1/100 The one-hundredth』 新日本プロレスのエースにして“100年に一人の逸材”、棚橋弘至による初のフォトブック ![]() |
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