更新日:2022年07月24日 17:45
スポーツ

ニュー・ジェネレーション路線の“青写真”――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第180回

WWEオフィシャル・マガジン

ディーゼルことケビン・ナッシュがWWE世界王者として長期政権ロードを歩みはじ めた。ナッシュはその後、90年代後半のアメリカのプロレス界を政治的に牛耳る超大 物に変身する(写真はWWEオフィシャル・マガジン表紙から)

 1994年はビンス・マクマホンにとって “1984体制”のちょうど10年後の現実だった。  “1984体制”とはWWEによる全米マーケット制圧プロジェクトのことで、1984年はそのプロローグにあたる。いまになってみればそのほうが非現実的なビジネス・モデルではあるが、1984年までのアメリカのプロレス界は完全な地方分権型で、全米各地に20団体から25団体のローカル・テリトリーが共存し、それぞれの団体がそれぞれの地域でそれぞれ独自の活動をおこなっていた。  メジャーな団体または組織はNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス=1948年発足)、AWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション=1960年発足)、WWE(当時はWWF=ワールド・レスリング・フェデレーション=1963年発足)の3グループ。NWAはプロモーターとプロモーターのよこのつながりを組織化した加盟式の団体で、AWAはアメリカ北部と中西部に大きな興行テリトリーを持っていた団体。WWEはニューヨーク・ニューヨークを中心に東海岸エリアを活動テリトリーとする興行会社だった。
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地方分権システムが30年以上もつづいた大きな理由は…
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