“デスマッチ”カクタスがWWEと契約――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第217回(1996年編)
“デスマッチ王The King of Death Match”のニックネームで1990年代前半にアメリカと日本のインディー・シーンで一世を風びしたカクタス・ジャックことミック・フォーリーがWWEと契約を交わしたのは1996年1月のことだった。
カクタス・ジャックというキャラクターはミック・フォーリーがプロデュースした“作品”で、カクタスがデスマッチの布教活動をおこなっていた時代、フォーリーという本名はファンのあいだでもあまり知られていなかった。
フォーリーは1965年、インディアナ州ブルミントン生まれ。幼少のころに家族とともにニューヨーク州ロングアイランドに移り住み、ここで少年時代を過ごした。ハイスクール時代にはすでにプロレスラーになることを決意し、近所の友だちといっしょにホームビデオで自作のプロレス映画を撮ったりしていた。
“サボテンのジャック”がもともとはガンコ者の父親ジャックさんのニックネームだったこと、大学在学中にピッツバーグの“ドミニク・デヌーチ・レスリング・スクール”でプロレスの基本を学んだこと、ホームタウンのロングアイランドからヒッチハイクでマンハッタンまでやって来て、マディソン・スクウェア・ガーデンでジミー・スヌーカ対ドン・ムラコの金網マッチを観戦したことはひじょうに有名なエピソードで、プロレスラーになるまでの紆余曲折については自伝本“マンカインド・ハブ・ア・ナイス・デー”にくわしく書かれている。
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