“プロレスラー”Mrマクマホン、突然のデビュー――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第289回(1998年編)
“ウソから出たまこと”とは、初めはウソのつもりでいったことが、偶然、事実になることをいうが、ビンス・マクマホンのそれは“ドラマから出たリアリティー”だった。
ミスター・マクマホンなるリングネームでビンスが“プロレスラー”としてデビューしたのは、1998年4月13日(ペンシルベニア州フィラデルフィア、コア・ステート・センター)。52歳(当時)のWWEオーナーと“ストーンコールド”スティーブ・オースチンの“OK牧場の決闘”が突然、月曜夜の連続ドラマ“ロウ・イズ・ウォー”のメインイベントにラインナップされた。
おそらく、それは長期的なプランというよりは因縁ドラマのなかのほんのワンシーンだったのだろう。ビンスとストーンコールドはこの日も番組オープニングと同時にリングに登場し、1万4280人の大観衆のまえで定番の口論シーンを演じた。
ストーンコールドは自分のオフィシャル・グッズのTシャツをハサミで切ってこしらえたお手製のタンクトップにジーンズというラフないでたちで、真新しいWWE世界ヘビー級王座のチャンピオンベルトを誇らしげに肩からさげていた。いっぽう、ビンスはいつものようにパット・パターソン、ジェリー・ブリスコ、サージャント・スローターの3人の側近を従えてリングに上がってきた。
「オメーさん、ほんとうはこのベルトを腰に巻いてみてえんだろ。新しいチャンピオンベルトなんか作りやがって。オメー、どうせこっそり“試着”してみたんだろ、鏡に映ったテメーの姿にうっとりしながらな」
ストーンコールドが「なんだ、やるか?」とビンスを挑発すると、ビンスは「いつでもやってやる」と応じた。じつにシンプルな展開だった。
いまでこそビンスはWWEオーナー兼チェアマン兼CEO、製作総指揮監督兼エグゼクティブ・プロデューサー、そしてあるときはプロレスラーという複合的アイデンティティーの持ち主ということになってるが、ビンスのプロレス体験が“1話”限りのエピソードではなく、ビンスとマクマホン・ファミリーのその後のタレント化が継続的なものであることをこの時点で予想した関係者は少なかった。
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