ひょうたんからKAIENTAIの大冒険――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第287回(1998年編)
フツーに考えればそれは快挙といってもいいくらいものすごいことなのに、そこにいる本人たちがそのすごさをあまり意識していない場合がある。KAIENTAIのWWEデビューがちょうどそんな感じだった。
船木勝一、ディック東郷、MEN’Sテイオーの日本人レスラー3選手が観客席からの“乱入”という形でWWEのリングに初登場したのは3.29“レッスルマニア14”の翌日、ニューヨークで開催された“ロウ・イズ・ウォー”(1998年3月30日=ニューヨーク州オーバニー、ザ・ペプシ・アリーナ)の全米生中継。TAKAみちのく対マーク・メロのTVマッチが終了した直後のことだった。
デニムのショーツにスウェットといういわゆるストリート・クローズでリングに上がってきた海援隊★DXの3人は、メロとのシングルマッチに敗れたばかりのTAKAにいきなり襲いかかった。船木がフィシャーマンズ・バスター、テイオーがミラクルエクスタシー、東郷がトップロープからのダイビング・セントーンという順番で3選手がそれぞれの得意技をTAKAにお見舞いし、あっというまにその場から走り去っていった。
海援隊の3人は“KK”の2文字と黒字にオレンジ色の日の丸が描かれたおそろいのバンダナを頭に巻いていた。この“KK”とはクラブ・カミカゼの頭文字で、WWEはこの時点で船木&東郷&テイオーの新顔トリオにオリジナルのユニット名を用意していた。
みちのくプロレスをホームリングとしていた海援隊をWWEにブッキングしたのは、東京―サンファン―ニューヨークの3都市を股にかけてその政治力とプロデュース力をいかんなく発揮したラツ腕ブッカー、ビクター・キニョネスだった。
プエルトリコ出身で、第1次FMWに悪党マネジャーとして来日したキニョネスは、FMWでブッカー業務を担当したのち、FMWのスピンオフ団体W★ING、IWAジャパンの旗揚げに参画。その後は東京・池袋に事務所をオープンしてプエルトリコ、メキシコの選手たちを日本のインディー団体にブッキングし、これと同時進行で多くの日本人選手をプエルトリコ、メキシコ、アメリカに送り込んだ。
1
2
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ