女子への「天然」という言葉は、はたして褒め文句なのか、貶し文句なのか?【山田ゴメス】
―[山田ゴメス]―
Yahoo!ニュースのトップ面をスクロールしていたら、ちょっと理解不可能な恋愛マニュアルに遭遇した。働く堅実女子のためのリアル診断・相談サイト『Suits-woman.jp』ってところが配信したもので、タイトルには『【恋愛講座】これぞモテ女!「天然女子」の特徴』と打たれている。
なんでも「本人は認めていないけど、周りは天然としか思えないようなふわふわとした女性が、男子にとってはたまらない」らしい。この時点で、早くも日本語自体がちょっと怪しいのだが(※「周りは」ではなく「『周りには』天然としか『思われていないような』」のほうが◎)、とりあえずは当該講座で言うところの「天然女子」の特徴やらをみてみよう。
・人ががんばっていることを素直に認められる
・どんなときもマイペース
・喜怒哀楽がはっきりしていて付き合いやすい
・自然に相手に対して気を遣える
……とあった。どれもこれもがもう間違いだらけである。コレって、ただの「気配りの利くイイ子」じゃないか。なかでも看過できないのが「喜怒哀楽がはっきりしていて~」のくだり。「ただし、『喜ぶ』『楽しい』以外の感情を見せすぎないように気をつけて!」なんて“警告”が書かれてあった。全然「喜怒哀楽がはっきり」していない(笑)。むしろ「天然」とは真逆の「計算高さ」を推奨している。「天然」の概念からして、すでにはき違えているのに、その上に論理が二重三重で破綻しているのだ。
今でも「天然」をやたら引っ張り出してくる輩は少なからず実在するが、僕はこの「天然」という形容で(とくに女性の)対人印象を安易にくくってしまう行為がとても嫌いだったりする。たとえば「養殖」だとかの人的な工夫が加えられていない魚が貴重で高値がつくのと同様、人間の「天然モノ」も稀な確率でしか出会えないのが本来だからである。
この“養殖理論”に当てはめると、「天然な人間」とは、幼いころからの教育や社会関係といった外的環境から一切切り離された人、あるいは一切それらを受け入れられなかった人のことを指す。ゆえに、空気を読めない……どころか、空気がどんなものかすら知らない――そんな恐ろしい人たちのことなのである。極論すれば「顔色一つ変えずに人を殺せる生まれながらの殺人鬼」クラスの“一種の狂人”にしか使用すべきではない単語だと考える。
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大阪府生まれ。年齢非公開。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味としながら、草野球をこよなく愛し、年間80試合以上に出場するライター兼コラムニスト&イラストレーターであり、「ネットニュースパトローラー(NNP)」の肩書きも併せ持つ。『「モテ」と「非モテ」の脳科学~おじさんの恋はなぜ報われないのか~』(ワニブックスPLUS新書)ほか、著書は覆面のものを含めると50冊を超える。保有資格は「HSP(ハイリー・センシテブ・パーソンズ)カウンセラー」「温泉マイスター」「合コンマスター」など
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