「尼神インター」大ブレイクの軌跡を追う ブスとヤンキーが織りなす女流漫才コンビの進化系!?
最近、やたらとテレビを賑わせている女芸人がいる。ヤンキーキャラの渚とブスキャラの誠子からなるコンビ「尼神インター」だ。昨年は大学の学園祭に呼ばれた回数が最も多い“学祭クイーン”の称号も獲得。今年上半期のテレビ出演数が100本以上にも上る。今春、大阪から上京して本格的にテレビ進出を果たし、さらに活躍の場を広げている彼女たちの軌跡に迫った。
――まず、お二人がお笑いを目指した経緯から伺わせてください。
誠子:私は高校3年生のときに’06年のチュートリアルさんが優勝したM-1グランプリを見たのが、芸人を目指したきっかけです。そのときに、「漫才ってなんておもしろいんやろ!」と思って、決まっていた大学進学をやめてNSCに入学しました。
――高校時代から目立つタイプだったんですか?
誠子:いや、すっごい地味でしたね。
――それがなぜお笑いを?
誠子:私には年下の双子の妹がいるのですが、スタイルもよくてすごくかわいいんです。小さい頃は私も含めて「美人三姉妹」と呼ばれてたんですが、10代半ばに急に私が太ったのを機に、妹たちから「シュレック」「ブス」とバカにされ、5年間、ろくに口も利いてもらえなかったんです。本当にショックで、自分の外見に自信が持てなくなって、高校時代は一度も男子としゃべったことがなかったです。
渚:こいつ、けっこう暗い学生生活だったんですよ。
誠子:それが、M-1を見て以来、お笑いがよりどころになって。お笑いを見てると心が休まるし、幸せな気持ちになれるから、「私も芸人になりたい」と思うようになったんです。
――一方の渚さんは、23歳でNSCに入学するまでは、なんばマルイや神戸空港などの建設に携わる大工さんだったとか。実際、『大改造!!劇的ビフォーアフター』の特番ではリーダーもされていましたよね。
渚:昔から私の周りには職人さんが多かったので、大工はすごく身近な職業だったんです。レジ打ちのバイトとかもしたんですけど、お金を扱う仕事は自分には向かないな、と。昔から図工は好きやったし、職人さんは経験を積めば一日1万円くらいいただけるし、楽しみながらできる仕事やったんで。
――それがなぜお笑いに?
渚:大工仕事も好きだったんですが、お笑いも前からずっと興味があって。むしろほかのものに興味がなかった。そこで、23歳のときに「お笑いやるなら今が最後のタイミングやな」と思って、NSCに入りました。
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