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「最終学歴が吉本NSC」の底力。編集者、大道具、助産師…芸人じゃなくても活躍する人々

NSCに入学しても向いている子と向かない子

本多正識

NSCで若手芸人たちに指導する本多正識氏

「NSCを卒業して芸人として生き残れるのはほんの一握り」と言われますが、私はそうは思いません。「一握り」ではなく「ひとつまみ」です。さらにそこから売れっ子芸人になり、スターになっていくのは生き残った「ひとつまみ」の中のさらに「ひとつまみ」以下の存在でしょう。  多くの生徒たちが夢破れて辞めていきますが、でもそれは決して落ちこぼれたのではなく自分の「居場所」ではなかったということだと思っています。  最初の授業で「芸人に向いている人」と「向いていない人」の2種類に分かれるから自分が向いているかどうか在学中に確認するよう伝えていますが、キングコングのように在学中にNHK上方新人漫才コンクールで優勝してしまうコンビもいれば、ウーマンラッシュアワーの村本君のように9人相方を代えて10人目のパラダイス中川君と10年目に花開くコンビもいます。  私の言う「向いている人」というのは起きている間中、なにか面白いことはないか貪欲に探せて、極限までの稽古を惜しまず、人前でしゃべることに“快感”を覚えるような人です。そしてこういうことはできない、ノーマルな子が「向いていない人」です。

お笑いの世界から編集者になった卒業生

裏方

芸人から構成作家、演出、照明など制作サイドに転身する者は多い。中には現役で芸人をしながら裏方スタッフとして活躍する人も……

 1年間の授業を終え「向いている」と思って懸命に頑張った子たちにも大きな壁が立ちふさがり、その壁を打ち破ることができずにお笑いの世界から去っていった子たちがたくさんいます。  いったん離れてしまうとなかなか出会う機会もなく、連絡も途絶えがちになりますが、思わぬところで出会うことがあります。  2017年度下半期に放送されたNHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」で漫才指導を依頼されて約2ヶ月間、毎週月曜日から金曜日まで、稽古と本番立ち合いでNHK大阪のスタジオに通っていました。  漫才指導が始まってしばらくして「わろてんか」の広報誌の取材があり、「広瀬アリスさんの上達ぶりはどうですか?」など、30分あまり取材を受けて「ありがとうございました」とあいさつをして直後、男性担当者が「本多先生、あらためてよろしいでしょうか?」と言われ、なんのことかわからず「はい…、なんでしょうか?」と答えると、直立不動で「わたくしNSC19期生におりました、その際はお世話になりました。」と言うのです。 「そうなんや!早よ言うてくれたらええのに」と一気に距離が縮み「編集者してんねや?」「まだまだそんなもんじゃないです」という話からそれまでの経緯を聞いてみると、「卒業後漫才を続けていたけれど、解散して、なかなか新しい相方も見つからず、ピン芸人としてもうまくいかず、活字の世界からお誘いを受けて、いまに至りました。」とのこと、「今の仕事が最後の居場所かどうかわかりませんが、一生懸命やっています。」と明るく楽しそうに話してくれました。
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裏方で活躍する卒業生
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漫才作家。'84年、オール阪神・巨人の台本執筆を皮切りに、漫才師や吉本新喜劇に多数の台本を提供。'90年吉本総合芸能学院(NSC)講師就任。担当した生徒は1万人を超える。著書に『吉本芸人に学ぶ生き残る力』(扶桑社刊)などがある

吉本芸人に学ぶ生き残る力

NSC講師として1万人以上の生徒を送り出した伝説の講師が教え子たちに教えた生き抜く術とは


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