小野武彦81歳、長女が生まれて「役者を辞めようと決心した」。芸歴58年“名バイプレーヤー”が生まれるまで
映像から演劇まで、数多くの作品を脇から支えてきた名バイプレーヤーの小野武彦さん(81)。1997年にスタートした大ヒットドラマ「踊る大捜査線」シリーズでは、北村総一朗さんや斉藤暁さんとともに「スリーアミーゴス」の一人として幅広い層からの人気を獲得する。芸歴58年という長いキャリアを積み重ねるなか、現在公開中の『シェアの法則』でついに映画初主演を果たした。
――芸歴58年という長いキャリアのなかで、転機となった出来事や作品は何ですか?
小野武彦(以下、小野):それは、長女が生まれたときのこと。仕事が全然ない状態が続いてしまい、親としての責任を果たすために、転業しようと考えました。実際、ある会社から声をかけてもらったので、役者を辞めようと決心したんです。
そしたら、その頃に倉本聰さんから電話が来て「何やってるんだ?」と。「ブラブラしています」と答えたら、石原裕次郎さん主演のドラマ「大都会」に推薦してくださいました。倉本さんが声をかけてくれなかったら、僕は役者を辞めていたでしょうね。それくらい大きな転機でした。
――そのあとすぐに、役者業だけで家族を養えるほどまでになったのでしょうか。
小野:「大都会パート1」は1年ほど続いたので、とりあえずそれで食いつないでいくことはできました。結果的に、このシリーズはパート3までいったので、5年間も関わっているうちに役者を辞めることを忘れてしまったというか、辞めずに済んで現在に至っています。あとは、この作品が刑事モノだったおかげで、そういう役ができると周囲から認識されるようになったのも大きかったかなと。それ以降は去年くらいまで、毎年欠かさず警察関係の役を演じ続けてきました。
――それが代表作のひとつである「踊る大捜査線」シリーズへと繋がっていくわけですね。
小野:そうなんですが、そこに至るまでには「大都会」を観ていた市川森一さんが「淋しいのはお前だけじゃない」に声をかけてくれて、それをたまたま観ていた三谷幸喜さんが「王様のレストラン」に呼んでくれて、またそれを観ていたフジテレビの人が「踊る大捜査線」にキャスティングしてくれたという一連の流れがありました。なので、「踊る大捜査線」でバッと行ったように見えますが、ホップ・ステップ・ジャンプみたいな感じで、それらの作品を抜いては考えられないなと思っています。
――今回の『シェアの法則』でついに映画初主演を果たしましたが、最初にオファーがあったときは、どのようなお気持ちでしたか?
小野:まずは、初主演ということで素直にうれしかったですね。といっても、ヒーロー的なキャラクターではないですし、群像劇でもあったので、「俺が主役だ」みたいな気持ちはありませんでした。ただ、テレビ、舞台、ラジオで主役をやらせていただいたことがあったので、「これで全制覇!」という喜びはありましたね。
――劇中では、古い価値観と新しい価値観の間で生きづらさを感じている人やマイノリティの方々の様子が描かれていますが、小野さんもいまの時代にジェネレーションギャップなどを感じることはありますか?
小野:それはありますね。秀夫みたいにいまの価値観に対応できない部分は、僕のなかにもあると思うので。とはいえ、これはおそらく僕だけではなくて、世の中が変わっていくときやいまの時代に生きている人なら誰もが抱えている課題なんじゃないかなと感じています。
振り返ってみても、いろんなことがあっという間にものすごく変化しているので、ついていけるところも、いけないところもあるのはみなさんも同じではないかなと。「変わっていくときなんだ」ときちんと認識しないと、考えが凝り固まってしまうので、つねに柔軟に対応できる人間でいたいなとは思います。
物語の舞台となるのは、老夫婦が自宅を改装して始めたシェアハウス。小野は、人づきあいが嫌いで自分の価値観のみで物事を見てきた管理人の夫・秀夫を演じた。本作では、年齢も職業も国籍も違う個性豊かな住人たちが衝突しながらも協力し合い、次第に変わっていく姿が描かれている。今回は、キャリアにおける大きな転機や脇役の美学、そして大成する人の共通点などについて語ってもらった。
倉本聰からの電話で役者を続けられた
芸歴58年で初めての映画主演
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