更新日:2024年06月14日 04:45
スポーツ

“アンチ立浪”の気持ちもわかる…中日応援団の代表が語る「それでもドラゴンズを応援し続ける」理由

2023年度のシーズンは、56勝82敗5分という成績で2年連続最下位となった中日ドラゴンズ。そんななか、どんなに苦境に陥っても情熱的に応援し続けるのが、「関東燃えドラ会」の代表を務める時川修さんだ。「それでも立浪中日を応援し続ける」と公言してはばからない。 時川さんが、中日を知ったのは幼稚園の頃。夏の暑い日に帽子を買いに行ったのがきっかけだった。
時川修さん

時川修さん

中日ファンになったきっかけは…

「私が幼稚園生で夏休みだったときに、祖母のいる兵庫の芦屋に行ったんです。そのとき阪急百貨店で『暑いから野球帽でも買おうか』と母が言ってくれたので売り場に行くと、阪急、巨人と黒い野球帽が並んでいた。そこに青くて涼し気な帽子があり、ひょいと母がそれをかぶせて『あら、涼しそうじゃない』と言ってくれた。それがドラゴンズの帽子だったんです」 自分の意思ではなく、季節柄「青いから涼しそうだ」という単純な理由で中日の帽子を購入した時川さん。それから中日の帽子をかぶって頻繁に出かけていたのだが、あるとき愛知県豊田市に住んでいた叔父が時川さんに、「ドラゴンズファンだったんだね。それなら選手のグッズを送るよ」と嬉しい提案をしてくれた。

全身をドラゴンズグッズで固めるように

当時の人気選手だった星野仙一や木俣達彦、藤波行雄らのサインボールやサイン入りのパジャマなどを送ってもらう。すると、気づけば自然と頭のてっぺんからつま先までドラゴンズのグッズを身にまとっていた。 「物心ついた頃には、谷沢健一さんや大島康徳さんらが憧れの選手として、ドラゴンズを応援するようになっていました。中学生になってからはよく後楽園球場に中日ファンの友達と一緒に応援に行っていたのですが、『内野席だとチケット代が高いから』という理由で、外野の自由席で観戦するようにしていたんです。今思えば、このときから『ドラゴンズ戦のは外野席で観戦しよう』と決めていたんだと思います」
次のページ
居酒屋で偶然会った中日ファンと意気投合し…
1
2
3
4
スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
記事一覧へ
関東燃えドラ会:Official Facebook
おすすめ記事