父親が組長、姉は14歳で駆け落ち…“極道の娘”が「思春期にグレなかった」理由
人はどんな両親の元に生まれてくるかを選択できない。裕福で何不自由ない家庭に生まれることもあれば、「こんな家に生まれたくなかった」と運命を恨む人もいるだろう。
今回話を聞いた天草ナオさん(20代)は、暴力団の組長の娘としてこの世に生を受けた人物。自身を“極道二世”と称する天草さんは、一体どんな人生を歩んできたのか。本人の口から語ってもらおう。
――自分の家庭が他と違うと、初めて感じたのはいつですか?
天草ナオ(以下、ナオ):小学校に入ったくらいの時です。同級生の親御さんを見て「なんか変な人たちがいっぱいいるな」と思ったんです。
――変な人たち?
ナオ:シワのついたスーツを着ていたり、髪型もパリッとしていなかったり……。自分の父やその周囲の人は、何かある時はしっかりしたスーツを着ていましたから。ちなみに父は普段着である作業服も、アイロンでキチッとセンタープレスをつけていました。
――その環境下であれば、ネルシャツやジーパンなどいわゆる“普通の格好”でもだらしなく見えるかもしれませんね。
ナオ:そうですね。私は当時、そんなお父さんをカッコいいと思っていました。テレビドラマ『ごくせん』が放送されていたころに印象的な出来事がありました。家で見ていたら、父に「こういうの好きなのか?」と言われて。「好きだよ。学校でも流行ってるし」と答えたんです。すると「お父さん、この仕事をしてるんだよ」と言われました。
――そこで、他とは違う感覚に裏付けがされたんですね。
ナオ:そうですね。そして私が「お父さん何組なの?」って聞いたら「パンダ組だよ」って言ってました(笑)。
――それまで怖い一面を見せたことはなかったんですか?
ナオ:甘やかされて育ったので、私に対して怖い姿というのは見たことがありません。ただ、感情の起伏が激しいところがあって、キレると止められなくなって大変でした。
――ナオさんには甘かったということですが、お母様にはどうでしたか?
ナオ:小学校5年の夏休みに、私と友人とそれぞれのお母さんという、女4人で沖縄旅行に行ったんです。その時、母は「色々うるさいからお父さんには内緒で行くよ」と。基本的に父は別の家があり、たまに私と母の住む家にくるというスタイルだったので、短期間の旅行であればバレないと思っていたみたいです。でも、いざ帰って来たら家の前には父の車が止まっていて……。玄関を開けた瞬間に物が飛んで来ました。そして、父が母の髪の毛を掴んでリビングに引きずって行き、肋骨が折れるほどボッコボコに殴られてましたね。
――小5でその修羅場を見せられたら、生涯トラウマになりそうです。
ナオ:警察を呼ぼうとしたら、父に携帯を取り上げられたので何もできずで……。母が殴られている姿をただただ傍観するしかありませんでした。
同級生の両親たちが「変な人に見えた」
「娘には甘かった」組長だったが…
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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