津波で家ごと流されたおばあさんと、現場を歩く
宮城県と福島県の県境にある町、宮城県山元町。
ここで長年、民話の語り部をやっていたというおばあさんが、昨年の震災で家ごと流されたにもかかわらず生還したことをきっかけに、地元の人々の震災体験の聞き書きをしているという。
おばあさんの名は庄司アイさん(77歳)。現在、古い官舎で避難生活をしている庄司さんを、このゴールデンウイークに訪ねた。
「ようこそいらっしゃいました」と笑顔で迎えてくれた庄司さん。しばし雑談ののち、「すみませんが、津波のときのお話をお聞かせいただけますか?」とお願いすると、その土地をどのように取得し、住んできたかの話から始めてくれた。机の上のお菓子の箱を土地に見立てて、「ここに母屋があって、畑があって……」となんの不自由もなかった日々を懐かしむかのように、丁寧に立地条件を説明する庄司さん。
あの日、庄司さんは旦那さんとともに、ビニールハウスで作業をしていたという。朝から働き、お昼ご飯を食べ、といった日常を「幸せだった」と庄司さんは振り返る。
そして、14時46分。誰もがこれまで経験したことがない激しい揺れに襲われる。旦那さんと「こんな大きな地震だもの、津波が来るね」と話をしていたが、庄司さんの家は海岸から約1キロ以上離れており、まさか自分の家の場所までも津波がくるとは考えていなかったという。
しばらくすると、外出していたお孫さんが帰宅し、玄関先で出迎える。先にお孫さんが家に入り、庄司さんが玄関に入った瞬間だった。
「ばあちゃん、津波!! 早く早く、2階に!!」
お孫さんの絶叫が聞こえ、家の外を振り返った瞬間、遠くのほうに「黒いもやもや」が見えたという。慌てて、旦那さんとお孫さんの3人で2階に駆け上がると、水は2階まで上がってきて、庄司さんは腰まで水につかったという。
と同時に、家が動き出した。3人とも、交わす言葉もなく無言だったというし、旦那さんは津波が来てからのことをほとんど記憶していないという。
「もうおしまいだと思ったねえ。ただ、振り返ってみるといい人生だった。そう思って、お念仏を唱えていたよ」
庄司さんの自宅は約10年前に改築していた。どうも機密性の高い家だったことが幸いしたらしく、なんと家はそのまま流されていったという。まず、丘まで流され、そこで一度止まったかと思ったら、また流されて「ごみ焼却場の南あたり」に家は漂着した。あとで、実際の現場を一緒に車で移動したが、少なくとも2~3キロは漂流したと思われる。
家は止まったが、救出されるまで一晩、流された家の中で過ごしたという。
「星が綺麗だった。お月様も出てて」と庄司さんは語っているが、なるほど、一切が流され、周囲一体、照明もなにもないわけだ。
翌朝の10時頃、3人とも怪我なく救出されたが、周囲の住民も被害甚大で、庄司さんは当然のように落ち込んだという。また、いままで庄司さんが集めていた民話の中には津波の話もあったそうだが、「それを伝え切れていなかった」という反省もあったという。
そこで、一念発起した庄司さんは、これまで民話の収集をしてきたのと同じ手法で、津波の体験談を知り合いなどから収集しはじめた。それらは『小さな町を呑みこんだ巨大津波』という小冊子にまとめられ、これまでに3集を出している。
彼らの話が、新たな民話となり、同じ悲劇を繰り返さないことを切に願う。
<取材・文・撮影/織田曜一郎(本誌)>
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