番外編その3:「負け逃げ」の研究(4)

 やられているのなら、それは悪ヅキの方である。

 普通なら、そんなツキには一刻も早く逃げてもらいたいものだろう。

 しかし、さすがは教祖さま。

 自身が神さまなのかそれとも神さまの代理人なのか不明ながらも、荒磯さんは凡人のごとくには考えないようだ。

 わたしも、この卓で打ってみることにした。

 同じサイドにベットする場合もあったし、反目を狙うこともあった。

 しかし荒磯さんは、そういうことは一切気にしていないようである。

 腐っても、教祖(笑)。

 普通人たるわたしのおこないなど歯牙にもかけず、ゴーイング・マイ・ウエイを貫く。

 それでずるずると負けていく(笑)。

 教祖さまのお隣りの席では、信者兼愛人なのだろう若くて綺麗なお嬢さんが、はらはらしながら勝負の行方を見詰めていた。

 わたしの打ち始めは、良好である。

 1000HKD(1万5000円)チップを使ったベットはよく落とすのだが、1万HKD(15万円)チップを使ったベットは、ほとんど取れていた。

 もしかすると、直近の3連敗(80万HKD=1200万円)分を、ここで一気に取り返せるかもしれない、との根拠なき希望がふつふつと湧いてくるほどの勢いだったのである。

 ちょうどシュー(=セッション)の半分くらいのところで、1万HKDチップ5枚のベットを仕留めた。

 よしダブル・アップで次は10枚(150万円)。

 勝負手を仕掛けようとすると、そこで「フィル・イン」が入った。

 前項で説明したが、荒磯さんがキャッシュ・チップからノンネゴシアブル・チップへの「ローリング」を拒否するため、ディーラー前のフロートにキャッシュ・チップが不足してしまうのである。

 ヒラバでのものにせよVIPフロアでのものにせよ、通常「フィル・イン」というのは、結構時間が掛かる。

 補充分のキャッシュ・チップが入った強化プラスチック製の透明なキャリー・ボックスはケイジ内の職員が運び込む。

 その職員にはすくなくとも一人、VIPフロアでは多くの場合、二人のセキュリティ職員が付く。

 キャリー・ボックスがテーブル上に載せられると、卓のピット内に、ディーラー・インスペクター・ピットボスの三人が並ぶ。

 そこではじめて、キャリー・ボックスの鍵がセキュリティによって外される。

 この際、チップ類に触れられるは、ディーラーのみ。

 職制上上位に位置していても、インスペクターはチップ類には一切触れてはならない。

 これは、ラスヴェガス系の大手ハウスでは、世界共通のルールではなかろうか。

 おそらく、不正防止のため、そうなっているのだろう。

 日本の裏カジノ・闇カジノでの「タテ仕事」は、ほとんどの場合、この「フィル・イン」「フィル・アウト」の際におこなわれるのだそうだ。

 ついでだが、「フィル・アウト」とは、フロートからチップを持ち去る作業のことを指す。

 通常、「フィル・イン」の際に、必要分以上にあるチップの「フィル・アウト」も同時におこなわれるものだが、なにしろ荒磯さんは、
「ローリング」を拒むものだから、このバカラ卓では、「フィル・アウト」はおこなわれず、キャッシュ・チップの「フィル・イン」ばかりが繰り返されることになってしまった。

 10万HKDというわたしにとっては勝負手を仕掛けたところでの、「フィル・イン」だ。

 勝負中断で、博奕(ばくち)のリズムが乱れた。

 不思議なもので、打ち方のペースが乱れると、途端に不安感に襲われる。

「フィル・イン」があろうとなかろうと、あるいは新しい打ち手が参加しようがしまいが、たまたま酔っ払いの打ち手が闖入しようとも、次のクー(=手)でのカードの配列は、当然にも変わらない。

 ところが、勝負手を仕掛けた打ち手側の心理は、そういうものでもないのである。

 沸騰していた頭から、「フィル・イン」で消費される時間とともに、熱が去っていく。

 熱が去って冷たくなると、途端に心中に恐怖を抱え込む。

 他の人はどう考えるか不明だが、わたしにとって150万円は大金だ。

 その大金を、カードの並びの偶然によって、丁と出るか半と出るかまったく不明なものに賭けている。

 こわいよおうううう(笑)。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(5)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。