番外編その3:「負け逃げ」の研究(5)

 勝利で煮崩れた頭だから、わたしクラスの打ち手でも150万円のベットを、えいやあ、と行けたのである。

 その熱がさめてしまえば、もうあかん。

 恐怖で金縛りとなってしまう。

 バンカーを指定する枠から、わたしは10枚の1万HKDチップを引いた。

 おまけに未練がましく、1000HKDチップ5枚に置き換える。

 プレイヤー、3。

 バンカー、ナチュラル・エイト。

 3枚引きともならなかった。

 カードが開かれる前から予感していたのだが、こういう展開でのクー(=手)は、なぜか楽勝してしまうものなのだ。

 どうしてそうなるのか、わたしは知らない。

 しかし、経験的にはそうだ。

 もう、悔やむこと、悔やむこと。

 裏になったカードをひっくり返しただけで、5000HKD(7万5000円)。正確には、バンカー・コミッションの5%が差し引かれた配当となるので、7万1250円相当も稼げる仕事なんて、あるわけがない。

 しかし人間の心理とは不思議なもので、この場・この時、7万1250円を稼いだとは考えず、150万円X95%-7万1250円=135万3750円を失った、と感じてしまう。

 強欲がそう感じさせる、とわかっている。

 わかっているのだが、実際に悔やんでいるわたしが存在する。

 ここが博奕(ばくち)の荊棘(けいきょく)だ。

 博奕街道には、イバラが敷き詰めてある(笑)。

 こうなってしまうと、もう次の手もいけない。

 次の次の手も。

 ここは都合10目(もく)のバンカー・ヅラとなったのだが、後半の5クーは、5000HKDのベットのまま。

 あのとき、「フィル・イン」があっても蛮勇を振り絞り、10万HKDのベット。そこを取ってダブル・アップ三連発で、わたしは直近の負けを取り戻していたはずだ。

 まあ、こういう仮定の話が頭に浮かぶようになっては、引き時であろう。

 今日はここいらへんで、堪忍しちゃる。

「カラー・チェンジ、プリーズ」

 わたしは、打ち止めた。

 ビビり、ヒヨッたおかげで、大漁とはならなかった。

 それでもわたしはこのテーブルに坐ってから1時間も経たないうち、15万HKD(225万円)以上浮いていた。

 これを繰り返せばいいのである。

 一発で負けを取り戻そうとする試みは、まず失敗する。

 これもわたしという個の経験則から導き出した結論である。

      *         *         *

 ケージ(キャッシャーおよびそこにつながる会計部門)に、残ったノンネゴシアブル・チップとキャッシュ・チップを持ち込む。

 この方法では、ローリング娘の手を煩わせる必要がない。

 ローリング計算も、ケージ内の職員がやってくれた。

 この滞在で、またこのハコに戻ってくるかどうかは不明なので、すべてHKDの現金で受け取った。

 来たときより、ほんのわずかながら上着の内ポケットが膨らんだ。

 これよりすこし前の話となるのだが、わたしの日本の知り合いが、

「バッグにキャッシュが入りきらない。どうしよう」

 とCOD(シティ・オブ・ドリームズ)のケージの前で悩んでいたことがあった。

 ああいう悩みを、わたしも一度は持ってみたいものである(笑)。

 教祖さまのいるバカラ卓に葉巻を取りに戻った。

「じゃ、わたしはアガりますから」

「あっ、そう」

 教祖さまのご機嫌は、どうやら麗しくないようである。

 お隣りの席に坐る若くて綺麗なお嬢さんが、哀しい眼をしながら、電光掲示板が示すケーセンをぼんやりと眺めていた。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(6)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。