ばくち打ち
第5章:竜太、ふたたび(3)
セントキルダのピア(桟橋)の前で、古い型のホールデン6気筒のタクシーから竜太は降りた。
西はきらきらと輝く真夏の海、東には2階あるいは3階建ての煉瓦家屋と背の低いビルが混在する。オーストラリアとしては珍しく都市計画が破綻した市街地だった。
都市の欲望を吸収する盛り場特有の混沌と猥雑性を、すかさず竜太は嗅ぎ取る。
それでもビーチの前には、きっちりとした広大な海洋公園が整備されていた。
手持ちの現地通貨は210AUDしかないけれど、ここなら2泊くらいならねぐらを見つけられそうだ。
いざとなれば、海洋公園のベンチでも眠れそうである。
竜太は安堵して、深呼吸した。
タズマン海の潮の香りが鼻を刺す。
海の香りを感じたなんて、何年ぶりだったか。
東京が海沿いの街であることを、竜太は忘れている。
ザ・エスプラネードという名の大通りを北東に5分も歩き一本裏道に入れば、竜太の予想どおり、料金が安そうなホステルが数軒あった。
どれでもよかった。
二番目に出くわした建物にはいる。
受付のおばさんに、いきなり、
「ハウ・マッチ?」
と訊いた。
おばさんは、いろいろと説明してくれる。
でも竜太には説明の内容が、まったくわからない。
中学校で先生に言われたように、英語だけはちゃんと勉強しておくのだった。
竜太は再び、
「ハウ・マッチ?」
と訊く。
どうやら、一段目のベッドと二段目のベッドには、料金差があるようだ。
高い方を選んだ。
一泊62ドルだといっているらしい。
カネを払うと、ロッカーのキーを渡された。
このホステルには部屋の鍵というものがなさそうだ。
カジノのVIPフロアから、チップをかっさらって逃げて来たのだから、竜太に荷物なんてものはない。
高額チップは、肌身離さずにポケットの中に入れておくつもりだった。
だからロッカーなんて不要なのだが、竜太はキーを受け取り、指定された部屋に向かった。
その部屋に、先住者は誰もいなかった。
昼前なのである。
考えてみると、成田を発ってからまだ15時間ほどしか経っていない。
その15時間に、いろいろなことが起こった。
竜太に突然、膨大な疲労感が襲う。
一段目のベッドに倒れ込んだ。
疲労困憊しているのだが、目をつぶっても安息は訪れない。
寝返りを打つたびに、上着のポケットに収められた高額チップがじゃらじゃらと音を立てた。
さて、この7万AUD分の「現金と同じもの」を、どうやって「現金そのもの」である700枚のグリーンの紙幣に換えるかだ。
カジノ・セキュリティの大男たちに囲まれて、ヤキを入れられている自分の姿が、竜太の瞼の裏に浮かんできた。
新宿歌舞伎町の裏カジノじゃあるまいし、政府公認カジノで、まさか殺されることもあるまい。
ヤキ入れが終われば、警察に突き出される。簡易裁判で、国外退去。
そこいらへんが、最悪のケースか。
その程度で済むのなら、上等だった。
しかしそれでは真希から盗んできた高額チップが、カジノ側か警察に没収されてしまうのだろう。