第5章:竜太、ふたたび(5)

「野郎、ホテルの金庫から俺の博奕(ばくち)のタネ銭も含め、キャッシュを洗いざらい持って逃げやがった。ポケットにあったカジノ・チップだけが残ったんだ。さてこのチップをどうやって現金化するか、思い悩んでいたところなんだよ」

「よく知らないけれど、カジノのキャッシャーに持って行けばいいんじゃないの?」

 当然の疑問。

「普通なら、そうだ。しかし野郎はカジノのフロアで問題を起こし出入り禁止よ。俺の写真までセキュリティのコンピュータに登録されちゃった」

 どうしてこう口から出まかせが、ぞろぞろと出てくるものなのか。

 竜太は自分でも感心した。

「ちょっとしたアルバイトをする気はないかい?」

 そう探ると、竜太はヴィクトリア・ビターを飲み干した。

 12月のメルボルンは、陽が落ちても気温は下がらない。
 

   *        *        *        *

 翌朝、みゆきを迎えに行った。

 二軒先のホステルに泊まっていた。

 前日の夕方、依頼した件をみゆきに確認する。

 みゆきの取り分は、1割。

 簡単な役割を演じればいい。

 7万AUDのチップを、カジノのキャッシャーで現金化する。

 それだけの労働だった。 

 それで報酬は、1割の7000AUD、63万円相当。

 一人旅の女子大生にとっては、悪くないアルバイトだろう。

「いいか、混んでるバカラ・テーブルを狙うんだ。テーブルに坐っちゃだめだ。立ち賭けの打ち手を装う。1万ドル・チップをテーブルに投げて、ディーラーに『カラー・チェンジ』と言う。ディーラーがなにか言い返すはずだが、それは1万ドル・チップをどうバラすのかを訊いているんで、意味が分からなくても心配する必要はない。『ゴリラ9匹に、あとはモンキー』と答えてくれ」

「なに、そのゴリラとかモンキーとか?」

 寝足りないのか、すこし腫れぼったい顔のみゆきが訊く。

「ゴリラは1000ドル・チップ、モンキーは500ドル・チップの通称だ。でも、そんなことは知らなくていい。『カラー・チェンジ』が終わっても、すぐにテーブルを離れちゃだめだ。賭けるチャンスをうかがっているように、しばらく席のうしろからゲームを見ていな」

「それ、バカラ・テーブルじゃないといけないの? ルールも知らないゲームを見ていても楽しくないでしょ。ルーレットとブラックジャックなら、ルールを詳しく知らなくても、なんとなくわかりそうな気がする」

「大きな金額が動くのは、だいたいバカラ・テーブルなんだよ。他のテーブルで1万ドル・チップの『カラー・チェンジ』は目立ってしまう。これは、きみにとって仕事だ。楽しみに行くわけじゃないし」

 それに、と竜太はつづけた。

「バカラ・テーブルに打ち手が集まっていたら、それは『ツラ』が出ているという証拠だ。立ち賭け、つまりバック・ベットで稼ごうとするバカラの打ち手は多いのだから」

「なに、その『ツラ』って?」

 顔に疑問符を浮かべ、みゆきが訊いた。

「バンカーならバンカー、あるいはプレイヤーならプレイヤーといった、一方のサイドが連勝している状態だ。でも、そんなことも知らなくていい。『ツラ』はいつかは切れる。当たり前だよな。すると立ち賭けの連中も、潮が引いたように一斉に消える。これがバカラ・テーブルの特徴だ」

 竜太はいったん言葉を切った。みゆきに疑いを抱かせないように、言葉を探る。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。