第5章:竜太、ふたたび(9)

「フリーウエイの速度制限は、110キロよ。10キロ・オーヴァーまではセーフだそうだから、120キロ以上は出さないで」

 すこし怯えた声で、みゆきが言った。

「ロジャー」

 竜太は応える。

 この片側3車線、時として4車線の道路環境では、スピードが出過ぎてしまうのである。

 しかも、この車体重量でこのパワー。

 尻の下で力強く躍動するエンジンに、竜太は痺れた。

「1000ドル・チップを9枚、最初にキャッシャーに差し出した時には、怖かったのよ」

 時速120キロの安定走行となると、落ち着きを取り戻したみゆきが言った。

「別に悪いことをやっているわけじゃないんだから、怖がることなんてなかったさ」

 じつは自分がクラウン・カジノのVIPフロアでやってきたことはまるで犯罪だったのだが、竜太はしらじらしく言い返した。

「ほんとね。でも、やっぱり怖かった。ところが、どうということはなかったの。キャッシャーの女の人も、普通の事務処理をするように、90枚の100ドル紙幣を渡してくれた。日本円にすると81万円の大金なのにね。ほかのキャッシャーでも、またその次のキャッシャーでも」

「あそこの三階には、『マホガニー・ルーム』っていうVIPフロアがあるんだが、そこじゃ一手に10万ドルくらい賭けている奴が、ざらにいた。900万円だぜ。カネってのは、あるところにはあるもんだ、と俺はしみじみ思ったね。しかも『マホガニー・ルーム』は『一般』用のVIPフロアなんだって。上の方の階にあるVVIP(very very important person)用のフロアになると、もっともっと、すんげーらしい」

 竜太は応えた。

「へええ」

「その昔、日本の消費者金融会社の会長なんて、あそこのバカラ卓で一晩に20億円以上負けたのに、へらへらと笑っていたそうだ」

 車窓の左側にタスマン海が現れた。

 真夏の太陽を反射して、波がきらきらと金色に輝いている。

 四輪駆動は、グレート・オーシャン・ロードを快調に駆け抜けた。

 地図上では300キロ弱のはずだが、メルボルンでレンタカーを借りた地点から400キロくらいは走ったはずだ。

 もう、どこもかしこも「景勝地」といった風景である。

「ここいらへんで、町に降りようか。お腹も減ったし」

 みゆきが提案した。

 竜太に異存はない。

 時間とカネは、充分にあった。

 何をしなければならない、ということがないのである。やりたいことをやりたい時間にやりたいだけ、する。

 インターセクションの表示は、ポート・フェアリーとあった。

「その昔、捕鯨基地として栄えた人口約3000人の町。ちょうどいいね」

 携帯を見ながら、みゆきが言った。

 町を通り抜けると、モイン川沿いに、古い大きな邸宅を改造したホテルがあった。

「こういうところ、泊まってみたい」

 とみゆき。

「でも、高そうだな」

 と竜太。

 まあ、高くても構わないのだが。

「部屋が空いてるか、聞いてくるね」

 3分ほどして車に戻って来たみゆきが言う。

「キャンセルがでたところで、ちょうど一部屋だけ空いてる、って。このホテル、四部屋しかないそうよ。問題は、料金ね。ハイシーズンだから、一泊550ドル」

 一晩5万円。まっ、いいか。

「同じ部屋でいいのかよ」

「ツイン・ベッドだから、竜太さんが紳士的振る舞いをしてくれれば、わたしは問題ない」

 新宿歌舞伎町のロクデナシばくち打ちに、「紳士的振る舞い」を求めるってのは、なんだかなあ。

 でも、これで決まった。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(10)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。