第5章:竜太、ふたたび(13)

 ゲーミング・フロアをざっと眺めまわしてみれば、70テーブルといったところか。

「ホームページには90卓と書いてあったから、また別のフロアがあるのかもしれない」

 とみゆきが言う。

「なにをやる?」

 竜太は訊いた。

「ルールは知らないけれど、バカラ。決まっているでしょ。そのゲームで7000ドルを1万2000ドルにしたのよ。どうせ他のゲームでも、ルールがわからないのだから」

 これは賭場(どば)での王道。

 勝っている種目を、勝った時と同じように攻める。

 そうやったからといって、また勝てるものではないのだけれど、打ち手はそうする。

 まだ陽は落ちていない時間だ。

 クリスマス休暇に入っているからだろうが、どのテーブルも6割がた埋まっていた。

「ビギナーにルールを教えながら打つにはちょっと敷居は高いかもしれないけれど、100ドル・ミニマムの卓でやるか」

 そのテーブルなら、他に打ち手はいなかった。気兼ねなくみゆきを教育できるだろう。

「わたしはどこでもいいよ」

 とみゆき。

 バカラ卓に坐ると、竜太は100枚の100ドル札をグリーンの羅紗(ラシャ)上に載せた。

 心臓がばくばくする。

 新宿歌舞伎町の裏カジノでやる際、竜太はいつも10万円のバイインだった。

 たとえそれが真希(まき)からかっぱらってきたものだとはいえ、90万円の大金をチップと交換する。

 気持ちいいのだが、同時に恐怖を感じた。

「じゃ、わたしも」

 みゆきが50枚の100ドル紙幣を出す。

「まったくの初心者が5000ドルの勝負って、いい根性してるな」

「だってそれ、クラウン・カジノで勝った分だもの。失っても、元に戻るだけ。竜太さんからもらった7000ドルには手をつけない。簡単だったけれど、あれは一応労働の報酬なのだから」

 しっかりしているのか、そうじゃないのか、竜太にはよくわからないみゆきの返答だった。

 ディーラーから100枚と50枚の100ドル・チップが、それぞれに渡されて、勝負が開始された。

 当時のスカイシティ・アデレードには、電光掲示板での罫線(ケーセン=出目の記録)表示なんて気の利いたものはない。テーブルの隅に置いてある罫線表に、自分で書き込んでいくのである。

 シューの始めのご機嫌うかがいで、竜太はまずミニマム・ベットであるタイガー(=100ドル・チップの通称)1枚を、プレイヤーを示す白枠内に載せた。

 みゆきは賭けもせず、見物。

 双方三枚引きとなったのだが、7対4でプレイヤー側の勝利。

 すかさず竜太は、タイガー2頭のダブル・アップでプレイヤー側に置く。

 このクー(=手)も、プレイヤーで楽勝だった。

 再びダブル・アップのタイガー4頭でも、8頭に増やした4手目でも、プレイヤー側は4・5・6といった低い持ち点ながら勝利していく。

 いきなりPヅラ(=プレイヤー側の連続勝利)だった。

 1枚の100ドル・チップが、1600ドルに化けた。

「簡単なのね」

 とみゆき。

「ああ、簡単なんだ」

 と竜太。

 さて4連勝して、竜太は迷った。

 次手もツラを追い、ダブル・アップの1600ドルで、行っちゃうべきか。

 元手は確かに100ドルだった。

 しかし1600AUDといえば、ほぼ15万円である。

 新宿歌舞伎町の裏カジノでなら、そんな大金を浮けば、竜太は即座に席を立った。

 そうやって竜太は、これまで生き凌いできたのだ。

 行くべきか、行かざるべきか。

 新宿歌舞伎町のろくでなしばくち打ちは、オーストラリアの合法カジノで、はたと悩んだ。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(14)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。