第5章:竜太、ふたたび(14)

 躊躇(ちゅうちょ)したら、引く。

 新宿歌舞伎町の裏賭博で、竜太がずっと用いてきた戦法である。

 確信をもった手でも、負けてしまう。

 負ける予感がした手なら、まず負ける。

 なぜだかはわからない。しかし賭博では、「良い予感」のそれはどうあれ、「悪い予感」の的中率は異常に高かった。

 これも「賭博の不思議」である。

 バカラのいいところは、好きな時に「見」ができる点だ。

 いや、ルール上はBJ(ビージェイ=ブラックジャック)でも「見」をしても構わない。

 しかしBJではボックスが空くとカードの配られ方が異なってしまうので、「見」をされるのを嫌がる打ち手たちが多かった。それゆえ実質上、「見」はしずらい。

 オリジナル・ベットであった800ドルと、それにつけられた勝ち分の800ドル、合わせて16枚のブラック・チップ(100ドル・チップのこと)を、竜太は手元に引き寄せた。

 引いた理由はもうひとつあった。

 このバカラ卓は、いわゆる「ミニバック(=小バカラ)」で、打ち手はカードに触れられない。

 ディーラーがカードをどんどんとフェイス・アップ(=オモテにすること)にしていく。

 自分が起こそうがディーラーが開こうと、カードの数字が変わるものでもないのだが、しかし15万円も賭けている勝負の命運は、自分の掌でカードを絞って決めたい。

 竜太はそう考えていた。

 いや竜太のみならず、ほとんどのバカラ賭人はそう考えるのではなかろうか。

 絞ることによって、カードに希求する数字を印刷するのである。

 そんなバカな。

 しかし「そんなバカな」ことを実現させるのが、バカラの「絞り」の妙だった。

「行かないの?」

 とみゆき。

「お休みだ」

 と竜太。

「ネクスト・ベッツ・プリーズ」

 ディーラーの若い女が、竜太とみゆきの動きを見ながら言った。

「フリー・ゲーム」

 と竜太はディーラーに告げる。

 ベットはしないがカードを開いてゲームを進めてくれ、という意味だ。

 正しくは「フリー・ハンド」という。

 しかし、アジア太平洋地区のカジノでは「フリー・ゲーム」と呼ぶ打ち手たちが多い。

 ディーラーがなにかを言った。

「一般フロアでは、『フリー・ハンド』はできないようよ」

 みゆきが通訳してくれた。

「『フリー・ハンド』ができるバカラ卓は、『インサイド』にしかない、と言っているみたい。『インサイド』って、なんだかわからないけれど」

「多分、VIPフロアのことだろうな」

「どうするの?」

「どうするもなにも、『フリー・ゲーム』ができないなら、席を立つかミニマム・ベットに戻すしかない。俺は100ドルでも負けるのはいやだから、打ち止めようか。もう1500ドル勝ってる。お腹いっぱいだ」

「じゃ」

 みゆきがタイガー10頭を、ディーラーの側に押し出した。

「カラー・チェンジ、プリーズ」

 ディーラーが、フロートの中からゴリラ1頭をつまみ上げる。

「ノー、ノー。モンキー、プリーズ」

 タイガー(=100ドル・チップの通称)10頭はモンキー(=500ドル・チップの通称)2匹に姿を変えた。

 たった2日間メルボルンのクラウン・カジノに行っただけなのに、みゆきは慣れている、と竜太は感心した。

 きっとゲーミング・フロアのバカラ卓で、群がる打ち手たちを、ツラが切れるまでじっと観察していた成果なのであろう。

⇒続きはこちら 第5章:竜太、ふたたび(15)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。