第5章:竜太、ふたたび(16)

 みゆきのモンキー(=500ドル・チップのこと)ベットでの快進撃が始まった。

 6目(もく)めも7目めも8目めも、プレイヤー側の楽勝である。

 シューの開始から、いきなりのL字ヅラ。

「L字ヅラ」というのは、ケーセン(=出目の記録)が下に突き当たり右に折れた状態を指す。英アルファベットの大文字「L」に見立てて、そう呼ばれる。

 竜太は、もう悔やむこと悔やむこと。

 頭の中を、後悔の濁流が荒れ狂っていた。

 しかし誰を恨むでもない。怖気づいた自分が悪かったのである。

「バカラって、面白いね」

 とみゆき。

 それはそうであろう。

 一手ごとに500AUD(4万5000円)の収入があるのだ。

 しかもディーラーがカードを開いていくミニバック(小バカラ)の卓だから、やたらと展開が速い。

 このバカラ卓に坐ってから、まだ20分も経っていなかっただろう。

 10目のPヅラになったとき、みゆきの席前には8枚のモンキー・チップが鎮座していた。8匹のモンキーの横には、40頭のタイガーが手つかずで置いてある。

「このツラ、ぜんぜん切れないね。プレイヤー側の持ち点は高くないのに、バンカー側が自滅する。どこまで行くんだろう」

 とみゆきのつぶやき。

「あるんだよな。15目、20目の大ヅラって」

 できない我慢をするのが博奕(ばくち)なのだが、もう竜太には我慢ができなかった。

 たとえ「飛び込み自殺」になろうとも、飛び込むしかない。

 だいたい教師役である自分が、生徒にバカにされているような気分だった。

「行くぞ。浮き玉オールインだ」

 竜太は気合いをこめて言うと、15枚のブラック・チップをプレイヤー枠に叩きつけた。

「なんだか、いやな予感がする」

 とみゆき。

 それはないだろう。

 連れが勝負を仕掛けた手では、たとえそう思っても、言ってはいけない。

 なぜなら、言われた方が不安を抱いてしまうからだった。

 案の定、竜太の胸中に不安が生まれる。

 でも、もうベットを引くわけにはいかなかった。

 竜太は教師である。みゆきは生徒。

「わたしはお休み」

 そう言うと、みゆきがサル1匹をボックスから引き揚げた。

「性格悪いなあ。応援ベットくらいしろよ」

 とは、竜太のつぶやき。

「500ドルって、大金だもの」

 とみゆき。

 竜太の胸の中で、不安はもくもくと育っていった。

 心臓は、どんどこどんどこ。

 みゆきと同様に、竜太の頭蓋内部に「いやな予感」が広がった。

 や、や、やばい。

 その時、誰かが軽く竜太の背中を叩いた。

 自殺かどうかは不明ながら、竜太はすでに「飛び込み」を図っていた。

 尻がシートから浮き上がるほど驚く。

「なんだ、なんだよ」

 振り向くと、20代の金髪美女が微笑んでいた。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。