第5章:竜太、ふたたび(19)

 ジュリアという名札をつけた美女ホストに、VIPフロアに導かれた。

 外ではまだ陽が落ちていない。

 バカラ卓は3台だけオープンしていた。

 ミニマムはそれぞれ100ドル、300ドル、500ドルと、打ちやすい設定である。

 ただし、それぞれ100倍の「ディファレンシャル(プレイヤー側とバンカー側の賭金の差額)」の制限がついていた。

 一人だけでプレイしているとしても、500ドル・ミニマムのテーブルでは、5万ドルがマキシマム・ベット(=一手に賭けられる上限)となってしまう。

 ほんのわずかな時間だったが竜太が経験したメルボルンのクラウン・カジノのVIPフロア“マホガニー・ルーム”では、「ディファレンシャル・20万ドル(1800万円)」なんて卓がさりげなくおいてあった。

「しけてるな」

 と竜太。

 ほんの数日前まで、新宿歌舞伎町のアングラ・カジノでセコい博奕(ばくち)を打っていたはずなのに、竜太はそう感じた。

 歌舞伎町のアングラ・カジノでは、1万円・ミニマムのバカラ卓の「バランス(=「ディファレンシャル」のことを、韓国の合法と日本の非合法のカジノでは、なぜかそう呼ぶ)」は20万円だった。

 したがって、5万AUD(450万円)の「ディファレンシャル」なら、気絶するほど高額なのだが、“マホガニー・ルーム”を短時間とはいえ経験した竜太は、すでに慣れていた。

 ここが博奕の怖さである。

 荊棘(けいきょく)であり、茨(いばら)の道だった。

「ターン・オーヴァーの0.5%がコンプとなります」

 とジュリアがみゆきに向かって言った。

 竜太とのコミュニケーションは諦めたようだ。

「なに、そのターン・オーヴァーとかコンプって?」

 今度はみゆきが竜太に訊く。

 一人はカジノ・ホスト、もう一人は英語がまったく駄目なロクデナシばくち打ち、残る一人はたどたどしい英語を喋るかもしれないが博奕はまったく知らない女子大生が、三人でカジノのVIPシステムにかかわり質疑応答していた。

 時間がかかるのである。

「ターン・オーヴァーというのは、勝敗とは無関係に卓上でベットした金額の総計のことだ。コンプは、ターン・オーヴァーに対比して払い戻される金額。これは、宿泊・喰い物・飲み物の順にタダになっていくらしい」

 ほんの数日前に、真希(まき)から教えてもらったことを、さもエクスパートのごとく、エラソーに竜太は言った。

 そういえば、真希はどうしちゃったんだろうか?

 真希の白い裸身が、一瞬竜太の脳裡をよぎった。

 真希は、東証にも上場されている大企業のキャリア・ウーマンである。

 一応なにが起こったかをハウス側にレポートはするのだろうが、騒ぎの拡大は望まないはずだ。

 また東京に帰っても警察に届け出るようなことはあるまい、と竜太は思う。

 届け出たところで、メルボルンのメガ・カジノで起こったことを日本の警察が立件するのは、ほぼ不可能だ。

 いやそもそもそんな面倒な事案の届け出を受理するほど、日本の警察は勤勉かつ誠実ではない。

 ホテルの部屋を手配してくる、と言い残しホストは去った。

「腹が減った。戦(いくさ)の前にまず腹ごしらえだ」

 と竜太は言った。

「その方が、いい。竜太さんの頭も冷える」

 とみゆき。

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。