第6章:振り向けば、ジャンケット(14)

「わたしがマカオに送り込まれたのは、もう20年近くも昔になる。公式的な辞令ではS銀行の香港支店勤務だ。一応、支店の外為課長の肩書はついていたのだが、主にやらされていたのは、日本ではオモテに出しづらいカネを海外に動かすことだった」

 大窓から広がる海峡を眺めながら、都関良平は説明した。

 マカオ半島側には、すでにネオンサインが輝き始めている。

「大手銀行がそんなことをやるのですか?」

 と優子。

「経済協力開発機構(OECD)のCRS(共通報告基準)なんて、まだ制度としてなかった時代だよ。『マネー・ローンダリング対策における国際協調』はもちろん話題にも上がっていない頃だから、マネロンはやり放題だった。1980年代末の土地バブルで、日本の地下社会に渡ったとされる数兆円は、いったいどこに流れて行ったと思う?」

「そういえば当時、名古屋のある暴力団には、本部地下にある屋内プールをいっぱいにするくらいのキャッシュがあった、と本か雑誌で読んだ記憶があります」

「プールいっぱい分というのは大袈裟だろうけれど、オモテに出せないカネが溢れていたのは事実だ。それを一度海外に持ち出し何回か動かして、出自がトレースできないカネとする。それも銀行業務の一部だった」

「S銀行のような大手でも、そんなことをやっていたのですか?」

「中小も大手も関係ないさ。収益となることには手を染める。怪しげな金融商品を知識のない顧客に売りつけているのは、昔もいまも銀行や保険会社じゃないのかね」

 良平は苦笑した。

「そうですね。確かに銀行にせよ生保にせよお客さんが損するとわかりきった商品を、事情に疎い人たちに売っている」

「わたしが銀行員となって5年目くらいだったか、新入行員がやらされる二店を回る支店配属が終わり本店に戻された頃だ。肝に銘ずるように、と上司に言われたことがある。『一般の人が銀行からカネを取れば、それは詐欺罪や強盗罪で捕まる。しかし銀行が一般の人からカネを取っても、誰も逮捕されない。それは通常の銀行業務なのだから』、とね」

「笑えないお話です」

 と言いながら、優子が笑った。

「土地バブルがパンクしても、日本経済はしばらくその余熱で持ちこたえていた。しかしわたしが本店に戻された1997年になると、北海道拓殖銀行・山一証券と金融界の大所が、つづけてコケた。なにしろ経済界はバブル破綻の処理をなんにもしていないばかりか、歴代の政権も『公的資金』という名に換えた税金をどこどこ企業につぎ込むだけだった。誰もまともにバブル処理をする気なんてなかったんだから」

「なぜですか?」

「じつに簡単な理由だ。本気でバブル処理をしようとしたら、政界にせよ官界にせよ財界にせよ、多くの人が縄付きになってしまった。だから、できない。しない。ほとんどのバブル戦犯たちを、そのまま権力の座に坐らせたままとした」

「なんか、日本の太平洋戦争の敗戦処理と同じみたいですね。責任者のほとんどが罰せられず、以降も実質的に権力を握りつづけてきた」

 その指摘は的確だ、と都関良平は思う。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。