ばくち打ち
第6章:振り向けば、ジャンケット(15)
「それからは、ちいさな上がり下がりがあっても、日本経済は凋落の一途だ。バブル期にため込んだオモテに出しづらいカネをどうやって日本から逃がすのか。それが資産家たちや裏社会の大きな課題となった」
と都関良平はつづけた。
「で、マカオなのですか?」
と優子。
「うん、1999年のマカオの行政権返還に絡んで、オモテ権力も巻き込んだ地下社会の大きな抗争があったんだ。『マカオ戦争』と呼ばれている。この過程で日本のジャンケット関係者が、すくなくとも3人、コロアン沖に沈められたという噂だ。カニ漁に使う鉄の籠(かご)に入れ、沈められる。4~5日して引き上げると、骨だけになっているそうだ。人骨は海中に捨て、籠に残ったエビ・シャコ・カニを収穫する。うまくできている」
「いやだあぁ~っ」
優子がちいさな悲鳴を挙げた。
「それで日本関連のジャンケットは、一斉にマカオから逃げ出した。当時は、ジャンケットを経由するマネロンは、ごくフツ―におこなわれていたわけだ。ところが日本関連の怪しげなカネをマカオでは動かせなくなってしまった。やってくれる人間がいないのだから」
いつの間にか、大窓の外に夜の帳(とばり)が下りている。
タイパやコタイの夜空を焦がすほど、ネオンサインが点滅した。
良平が最初にマカオに着いた頃、ここいらへんは山賊が出てもおかしくないくらいの真っ暗闇だったものだ。
それがいまでは、夜を知らない。マカオの一人当たりのGDPは、軽く日本の2倍以上となっていた。
ポルトガルから行政権を返還された北京政府が、「一国二制度」で、マカオにおけるカジノ産業を認可し、なおかつその事業者権をSTDM社の独占ではなく、競争入札の制度に改めたからである。
法律を一本成立させただけで、マカオは信じられないくらい大きく変貌した。
「仕事のシステムを学ぶのは、それこそ命懸けだったけれど、客の部分では、わたしは恵まれていた。なにしろそれまでのうちの銀行の顧客リストを、そっくりそのまま使えばよかったのだから。おまけにクチコミで他の銀行の顧客までわたしのところに来てくれるようになった。マカオの日本関連のジャンケット業者たちが煙のように消えて、わたしだけがここを仕切れたのだから。この状態が2004年までつづいた」
「2004年になにがあったのですか?」
「マカオ・サンズの開業だよ。これで、日本の業者たちが、安全となったマカオに戻って来た」
優子には、ここはもうすこし説明を付け加えなければなるまい。
「2002年にカジノ・コンセッション(=ライセンス)の審査が開始されたのだけれど、時を同じくしてマカオの治安はアジア1と言っていいほど回復した。そりゃ、そうだ。『マカオ戦争』の時みたいにドンパチやっていたら、ラスヴェガスの大手カジノ資本はどこも入札に参加しないからね。『マカオを安全で楽しめる都市とする』というのは、地元の地下社会や行政および北京政府だけじゃなくて、アメリカの経済界を含んだ要請だった」
良平の携帯が鳴った。
5Fのケイジからである。
「はい、わかりました。すぐに降りていきます」
良平は広東語で答えると、日本語でつぶやいた。
「呼び出しだって。宮前さんたちは、もう全額溶かしちゃったのかね」
「まさか」
優子が薄く笑った。(つづく)