第6章:振り向けば、ジャンケット(16)

『天馬會』のケイジの前で、デパートの紙袋を下げた宮前が待っていた。

 百田(ももた)が宮前の横で、不貞腐れ顔で煙草をふかしている。

「あれっ、もうやられちゃたのですか?」

 と、残念そうに都関良平が訊いた。

「同情しているような振りするな」

 と宮前。

 いや、本当に残念なのである。客がビスケット(=長方形や楕円形をした大型のカジノ・チップ)を回して(=ローリング)くれなければ、良平の方はメシの喰い上げとなってしまう。

「お代わりのバイインしようとしたら、キャッシャーの職員があんたを呼ぶと言った」

「それはわたしが書類にサインする必要がありますので」

 その口座を借りているジャンケット業者の客であろうとも、知らんぷりして自社のローリングとして処理してもわからないはずだった。そして仁義にはもとるのだが、実際そうする「部屋待ち」ジャンケット業者たちも多い。しかし、『天馬會』は、きちんとスジを通してくれた。

 やはり、中国でのビジネスは「信」。

 18年間を掛けて、良平は大手ジャンケット業者たちとの間に、その「信」の関係を築き上げてきたのである。これが『三宝商会』の最大の財産だった。

 宮前が下げていたデパートの紙袋を、良平はケイジの窓口に置いた。

「おいくらほどですか?」

「3000万円」

 百田が不愉快そうに答えた。前回のバイイン額より1500万円減っている。

「ということは、おひとり100万HKDずつということですよね。それじゃ小田山さんは負けていない。よかった」

「あいつは初日で手仕舞いだ。こんな『ゴトハウス』で博奕なんか打てん、と捨て台詞を残し、もう部屋に戻ったぞ」

 と百田が応じた。

「ゴトハウス、だなんて。大手ハウスでシゴトを入れることは不可能だ、と皆さんよくご存じじゃないですか」

 と良平。

「でもな、2シュー(=セッション)目で、大波が来た。バンヅラ(=バンカー側の連勝)でプレイヤー・サイドは一目切れ。もう、簾(すだれ)ケーセンよ。3人とも手持ちが2倍になった。一人1500万円の大漁だ」

 と百田。

 なぜそこで止めなかったのか、と問いたいところだが、それを言ってしまえば打ち手とジャンケット業者の関係は終わる。それは良平も心得ていた。

「次のシューがひどかった。ちいさなタマ(=賭金)は取れても、大きく行くと全部スカよ。一気に蹴り落とされた。シゴト入れられた、と思っても仕方ないわな」

 と百田がつづけた。

「どんなゲーム賭博でも微少とはいいながら、ハウス側にはアドヴァンテージがあります。いわゆる『ハウスエッジ』ですね。皆さん、それを充分に承知納得したうえで、カジノにいらっしゃってる。したがって、勝利している時にシゴトを疑うのなら、わかります。数学的には、おかしいはずだからです。でも、負けたらイカサマはないでしょう」

 と良平。正論だった。

 もっともカジノでは、正論が正しいとは限らないのである。

「経験が浅い連中は、どうしてもシゴトでやられたと思っちゃうんだよな。おまけに日本でアングラに通っている奴らは、必ずハウスのイカサマを疑う」

 百田が鼻から、いかにも健康に悪そうな煙を大量に噴き出した。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。