第6章:振り向けば、ジャンケット(19)

「オーストラリアのハウスの話なのですが、『客がネクタイを締めスーツを着込んでいたら、裁判所帰りだと思え。職員が高級車とかクルーザーを買ったら、不正を疑う』と新人教育のときに教えられるそうです。もちろん、疑われて調査されるだけなのでしょうが」

 良平の言葉に、百田(ももた)が頷く。

「うちの会社でも、カネ遣いが荒くなった社員が居たら、しっかりと調べるからな。うちの給料で派手な暮らしができるわけがねーんだから」

 今度は苦笑いではなく、百田が声を上げて笑った。

 お代わりの紙幣の束がやっと金銭識別機をスルーしたのか、ケイジ内の職員が書類とともに2枚の大型ビスケットを差し出す。

 良平は書類にサインした。

「これで、反攻をお願いします。大勝利ですよ。そのほうがうちもコミッションで助かりますので」

100万HKDのビスケットを1枚ずつ、宮前と百田に手渡した。

 でも駄目だろう、と良平は予感する。

 カジノに持ち込んだカネを、一回ごとのバイ・インがオケラになると小出しにしていく打ち手で、まず勝って帰る奴はいなかった。

 フロント・マネーのシステムであるのだから、まず持ち込んだ全額を口座に入金すればいい。そして、勝とうが負けようが、口座に残ったカネを持ち帰ればいいだけだ。

 いや、フロント・マネーのシステムがない、ヒラ場でも同様であろう。

 よく居るのだ。

 ミニマム・ベットが500HKD(7500円)のテーブルなのに、2000HKDでバイ・インし、それがなくなると、また2000HKDをバイ・インする、なんて打ち手が。それを飽きずにつづける。

 あれじゃ、勝てない。

 おまけに、百田みたいにハウス側のシゴトを疑うようになってしまえば、まあ打ち手の側の反撃は望めないのである。

 シゴトが入っていたから負けたのであれば、当然にも、シゴトが入っていたから勝ったわけだ。

 これがコトの道理であろう。

 こういう心理状態に追い込まれてしまうと、たまたま勝っていても手が縮こまって、行くべきところで大きく行けない。

 そしてゲーム賭博では、行くべきところで大きく行けなければ、勝利は望めないのである。

 ――勝負の機微は、駒の上げ下げ。

 結局、この言葉に行きつく。

 当たり前であろう。

 カジノで採用される種類のゲーム賭博のルールには、微少だとはいえ、必ずハウス側が有利となる控除だとかコミッションだとかが含まれているのだから。

 行くべきところでどかんと行って、それに勝利し、ハウス側の「確率の優位」を凌駕する。これが唯一の「勝利の方程式」。一方、「敗北の方程式」はたくさんあり過ぎて、考えても仕方なかった。

 これから百田たちは、奈落の底に落ちていくだけなのであろう、と良平は感じる。

 勝ちに天井があっても、負けは底なしだ。

 なぜだかは知らない。

 でも、それがゲーム賭博というものなのだった。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。