第6章:振り向けば、ジャンケット(22)

 都関良平(とぜきりょうへい)は、自分が仮眠する部屋の手配をした。

 再び5Fに呼び戻される前に、すこしでも睡眠をとっておきたい。

 オフィスには、横になれる長椅子もあったが、なによりシャワーを浴びたかった。手間が掛かる客がいると、建物の外に出てはいないのに肌に脂の被膜ができた。

 年間の契約でこのホテルの宿泊用3部屋は、常に『三宝商会』が押さえている。

 しかし宮前・百田・小田山にひと部屋ずつ振り分けたから、自分の分はなかった。

 こういう場合は、他のジャンケット業者が押さえているものの中で、空いている部屋を回してもらうのである。

 これは「持ちつ持たれつ」の仕組みになっていて、他のジャンケット業者からの要請があれば、『三宝商会』の空いている部屋を回すこともあった。

 それゆえこのカジノ・ホテルには、一般客が宿泊予約をすることはなかなか困難なのである。なにしろ客室の90%以上は、年間を通してジャンケット業者たちが押さえている。ジャンケットと、ハウス直営のプレミアムのいわゆる「VIP・プレイヤー」ばかりの宿泊客となってしまうのだった。

 グラウンド・フロアにある一般客用のゲーミング・フロアには、一応バカラ卓が十数台置かれてあったが、このハウスが「大口専用」と呼ばれるゆえんだった。

 そして「大口専用」であるゆえ、ワケありの打ち手たちは好んでこのハウスを使う。情報が外に漏れづらいからだった。金正男などは、その好例だったのではなかろうか。

 携帯が鳴った。

 宮前たちがもう「お代わり」を溶かしてしまって、再度の「お代わり」なのだろうか。

 番号を確認すると、東京からだ。

「はい、都関です」

「わしだ。明日から行く。よろしく」

 広域指定暴力団の二次団体の理事長の声である。

 ちなみに関東の大手暴力団では、関西でいう「若頭」の役職を「理事長」と呼ぶところが多かった。

「かしこまりました。横田さんお一人ですか?」

「連れがいるが、同じ部屋でかまわん。大きめのスイートにしてくれ」

「今回はいかほどのフロント・マネーとなるのでしょうか」

「いつもと同じだ」

「お振り込みを確認しておきます」

「いや、キャッシュでもっていく」

 ここ数年は、1億円程度ならキャッシュで持ち込む者たちが増えた、と都関良平は感じる。

 日本での決済を嫌うからなのだろう。

 ある闇金融事件の摘発に絡み、日本での決済情報がカジノ・ハウスを通して国税に流れてしまったことがあった。

 それ以降、オモテに出せないカネで博奕を打つ者たちは、日本での決済を嫌う傾向をもつ。

 マネロンがやかましく言われるようになってからは、もちろん銀行振り込みもできない。当局に報告されてしまうからである。

 だから皆さん、重いのに直接ハウスに現金を持ち込むようになった。

 送迎のリモ(=リムジン)の確認をして、横田の電話が切れると、すぐにまた携帯が鳴った。

「リゾートJJ社の高垣です」

 こいつはちょいと厄介だ。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。