第6章:振り向けば、ジャンケット(27)

 九州で、2006年から7年間ほどつづいた大きな抗争があった。

 使用された武器は、日本刀や拳銃はもちろんのこと、手りゅう弾や自動小銃、バズーカ砲まで登場し、両団体とも一歩も引かないきわめて熾烈かつ残虐な抗争だった。

 わかっているだけで、死者14名。

 地下社会の噂話では、山に埋められたり海に沈められたりで、もっともっと死人が出たらしい。

 2012年だったから、一時収まりかけたその抗争が、再燃した年である。それも、以前より激しく。

 その年の秋、両団体の幹部が良平のジャンケット・テーブルでたまたま鉢合わせしてしまった。

 もちろん、そんな組み合わせは、良平が意図したものではない。同時期にジャンケットの申し込みがあれば、自分の客であるのなら、一方にご遠慮願う。業界での経験が長いジャンケット業者は、そこいらへんを心得ていた。

 ところがこの時は、他のハウスで打っていた片方の幹部が、目が出なかったのか、良平のハウスの5Fに流れてきたのである。

 抗争中の組幹部と同じテーブルだった。

 良平は生きた心地がしないほど、はらはらした。

 両団体では、傘下の者たちが凄惨な殺し合いをしているさなかだ。

 いくらなんでも、カジノのゲーミング・フロアでの流血事件はなかろう。

 そうは思うのだが、万が一ということもある。

 日本の暴力団の抗争事件がこのハウスのバカラ卓で起きたりしたら、良平のジャンケット・ライセンスは確実に没収されてしまうことだろう。

 良平は、フロア・セキュリティに依頼して、屈強な者3名で、このテーブルを常時注視させた。もちろん、良平もテーブルの背後に立ちっぱなしである。

 不思議も不思議。

 二人とも、互いの顔を見ないのである。ディーラーの指先と、カードだけを見詰めていた。

 話し掛けることも一切しない。

 ベットするサイドも張り合わないのである。同一方向にほぼ同一のベット額で賭けていく。

 それだけではなくて、顔を見ないながらも二人仲良く、

「テンガァー」」

 とか、

「チョイヤァー」

 とか、一緒に気合いを入れていた。

 はらはらしながら見守っていた良平は、安堵する。

 どうやら、博奕場では抗争を忘れるのが斯界の仁義か。

 それとも、あたかも互いを存在しないように振る舞うのが不文律なのだろうか。

 どちらにせよ、良平は助かった、と思った。

 二人とも、盆ヅラ(=勝負卓でのマナー)がよかった。そしてこの時は、大勝して帰ってくれた。

 もっともこれは、九州の突破者同士の話である。

 良平の経験では、関東のやくざは、もっとねちっこい連中が多かった。

 娑婆の軋轢を、勝負卓に引きずる。あるいは、渡世のしがらみを、張り取りに持ち込む。博奕場で怨恨を晴らす。

「百田さんと過去にどんな事情があったにせよ、フロアでのトラブルだけは勘弁してください」

 友誼大橋を渡る車の中で、都関良平は広域指定暴力団二次団体の理事長に釘を刺した。

「わかってるよ。俺はお嬢連れで博奕を楽しみに来てるんだ。勝負卓でトラブルなんて粗相はしない。それにあんなところでトラブルを起こしたら、セキュリティにボコられても、文句が言えんしな」

 横田が苦笑しながら応じた。

 大橋を渡れば、もうそこから3分で良平のハウスである。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。