第6章:振り向けば、ジャンケット(29)

 バカラ卓の背後から、しばらく横田は静かに百田(ももた)の博奕(ばくち)を観戦していた。

 声は掛けない。

 電光掲示板に映されたケーセン(=過去の勝ち目を示す表)は乱れているのだが、百田は快調に飛ばしているようだった。

 良平と横田が見ている前で、プレイヤー・サイド5万HKD(=75万円)のベットで、3連勝する。あれで225万円の収入。しかも(申告しないだろうから)無税。簡単なのである。

 この局面で広域指定暴力団二次団体の理事長は、赤い大判ビスケットを、グリーンの羅紗(ラシャ)の上に投げた。

「カラー・チェンジ」

 一枚100万HKD(=1500万円)のビスケットを、ベット用の細(こま)いノンネゴシアブル・チップにバラせ、という意味である。

「ちょっと、待ってよ」

 百田が振り向きながら、日本語で言った。

 連勝中は、同じ状態を維持していたい。打ち手の願いである。

 カラー・チェンジだとかフィル・インだとかが入ると、勝負の流れが変わってしまう。

 こちろんこれには「科学的根拠」など、まるでない。

 でも打ち手たちは、そうなる場合が多い、と経験的に知っていた。

 いや、そうなった場合の方が、強く印象づけられているだけなのかもしれないが。

「あっ、あんたは」

 100万HKDの赤色大型ビスケットをグリーンの羅紗の上に投げた男を見て、百田があわてて椅子から腰を浮かせた。

 その両肩を横田が押さえつける。再び百田を坐らせた。

「こんなとこで取って喰おう、なんてしやしないよ。都関さんにも約束している」

 と横田がどすを利かせた低い声で言った。

 I会二次団体の枝の金貸しと広域指定暴力団二次団体の理事長では、やはり貫目に差があるのか。

「賭場(どば)は、別空間。そうじゃなければ、どんな組織だって抗争中は盆を開けなくなってしまうだろうが」

 斯界の暗黙の合意、といったところか。横田の言葉に、良平はへんに感心した。

「恨みっこなしよ。抗争も博奕(ばくち)も、それが本寸法」

 横田の言葉には、重みがあった。

「そういうことで、お願いします」

 と百田が殊勝に応じた。

「次は、どっちだ?」

 カラー・ダウンされた1万HKDのノンネゴシアブル・チップを右掌の中に包みながら指先だけで器用にシャッフルさせ、横田が訊いた。

「プレイヤーの4目(もく)ヅラだから、自分は5枚で追う」

 と百田。

「じゃ、俺は反目に同額で行くよ」

 と横田。

 マカオのVIPフロアでは珍しく、打ち手同士の絞り合いとなった。

「よっしゃっ!」

 両者三枚引きの泥仕合となりながらも、これは4対5で理事長側の勝利。

「はっはっはっ。どんどん行け。すべて俺が向こうを張ってやるから」

 と横田。

 そりゃ自分でサイドを選ぶより、敵にサイドを選んでもらって、その裏を張っていく方が、ず~っとラクだろう。

 互いの顔を見ることもなく、同一方向に同額のベットを律儀に繰り返した、抗争中の九州やくざとは、えらい違いだった。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章:振り向けば、ジャンケット(30)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。