第6章:振り向けば、ジャンケット(30)

 ジャンケット業者にとっては、願ってもない展開となりそうである。

 両者とも3000万円前後の手持ちで、一方が負けた分、他方は必ず勝つ。

 一直線に昇ったり落ちられるより、勝ったり負けたりするこちらの張り方のほうが、ローリング(=勝利の際につけられるキャッシュ・チップでベット用のノンネゴシアブル・チップを購入すること)は進むケースが多いのである。

 テーブルでのローリングは、このハウスでは2年前から電子化されていて、人の手を煩わせることがなかった。

 二人で喰い合いをしてくれるのだから、ジャンケット業者の手間がかからない。

 新たな現金でのバイインのときだけ、良平か優子が立ち会えばいいだけだった。

「ご用がある際は、ケイジで呼び出してもらうか、わたしか優子の携帯にご連絡ください」

 二人の背中に言うと、良平はオフィスに戻った。

 大窓から眺める海峡を隔てたマカオ半島は、熱霞で包まれている。

 タグボートに曳航される大型客船が、茶褐色の海に白い軌跡を描いていた。

 今日も外は暑そうだ。

「お部屋にご案内したら、美々さん、卒倒しそうなくらい驚いていました」

 と戻ってきた優子が言った。

「タイプはLBだったよね。そりゃカジノ・ホテルのスイートに慣れていない人なら、腰を抜かしても不思議じゃない」

 連れが居るということで、用意したのは2ベッド・ルーム250平方メートルの部屋だった。

 広々とした執務室やキッチン、カラオケ・ルームまで付属している。

 バスルームはふたつだけだが、独立したシャワールームが二か所にトイレは合計六箇所。

 東京で3LDKくらいのマンションに住んでいるとしたなら、ゆうにその3倍以上はある「ホテルの部屋」だった。

「横田さんと百田さんが、張り合っている。しばらくはあのままにしておいても大丈夫だろう。わたしはすこし席を外す。わからないことがあったらすぐに連絡してくれ。10分で戻れるから」

「今日のフロアには、『天馬會』のジャッキーくんがいましたから、なんとかなると思いますよ」

 優子の頬にかすかな朱がさした。

   *         *        *        *

 良平のマンションは、北安大馬路を南に下り、孝思墓園のすぐ近くにあった。

 マンションというのは、実は正確ではない。

 英語で「マンション」と言ったら、大きな部屋がすくなくとも15はある独立家屋の豪邸を指すのだから。

 良平のユニットは、高台にある8階建てビルの最上階に位置していて、海峡と友誼大橋が臨めた。

 食堂のテーブルの上に、大きめのケーキが載せられてある。

 なんで?

 走り書きのメモが添えられてあった。

「ダディー、昨日はマミィーのお誕生日だったのに」

 リリーの筆跡で、英語で書かれてあった。

 そうか、リリーに悪いことをした。

 リリーの母親が消えてから、もう16年になるのだ。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(1)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。