第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(4)

「わたしは、One Night Standはしない。それでいいの?」

 英語で誘ったのだから、当然にも返事は英語で戻ってくる。

 この頃の良平には、‘One Night Stand’というフレーズの意味が分からなかった。

「ひと夜だけの肉欲、という・・・・」

 とマギーが口ごもる。

 口説いているはずなのに、言葉の意味の説明を受けた。想い返せばずいぶんと間が抜けた状態だった。

 良平にとって、マギーは容姿端麗、ビジネスもばりばりこなし、数か国語を流暢に使い分ける、手が届くはずもない高嶺の花である。

 嵐の夜に、酒の勢いで誘ってはみたものの、まさか自分が高嶺の花を摘める、とは思ってもいなかった。

「いい、というより、そうあって欲しい」

 即座に良平は応えた。

 当時良平には、銀行員時代に上司の紹介で結婚した女が居た。

 しかし結婚は破綻したも同然だ。

 良平がメガバンクを辞め、マカオのジャンケット業者として独立したとき、妻は一言の断りもなく東京に戻ってしまった。彼女が結婚したのは、メガバンクでエリートコースを歩む男であって、多分都関良平という個人ではなかったのだろう。

 書類数枚を送り付ければ、離婚は簡単に成立するはずだ。

 良平は以上のことを、マギーに隠さず伝えた。

「わかった」

 マギーが静かに言った。

 そうして、二人の関係は始まった。

「One Night Standはしない」ということが、必ずしも同居や結婚を視野に入れた関係であることを指さない。それなりの時間の試練に耐えうるリレーションシップをもつ、という意味である。

 良平のアパートメントに泊まりに来ても、朝5時になれば、マギーは帰っていった。

 そんな関係が半年もつづいた頃だったか。

 良平のアパートメントに、突然マギーが移り住んできた。

 それも乳児とナニィ付きで。

 2000年末に、マギーがジャンケット業界から一時的に身を引いたのは、

「この娘を生むため」

 だったそうだ。

 良平のアパートメントで、乳児、その面倒を見る大陸系のナニィ、マギーと良平の四人での奇妙な共同生活が始まった。

 当時の住居は、ジャンケット業を始めてから借りた氹仔(タイパ)の丘の上に建つ180平米ほどの広々としたものだったので、4人暮らしでも狭さを感じなかった。

        *         *        *

「お母さんに連れてこられた乳児が、リリー、きみだった」

 野菜の皿に箸を伸ばしている娘に、‘One Night Stand’の部分も含め、良平は包み隠さずに言った。

「ふ~ん」

 とリリー。

 おそらく衝撃的な話だったのだろうが、娘の顔に動揺の色はない。ひと安心である。

 良平は飲み物を、青島ビールからコニャックに切り替えた。

 ストロング・スタッフが必要だ。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(5)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。