ばくち打ち
第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(6)
「マカオ経済界の著名人・M社のTさんの名前は、リリーも聞いたことがあるだろう」
ジャスミン・ティーで唇を濡らす娘に、良平は訊いた。
「うん。よくテレビや新聞に名前が登場するよね」
とリリー。
Tは、現在大手カジノ事業者で副社長を務めている。香港・マカオの経済誌で、「最も影響力がある経済人・15人」のリストに載ったこともあった。
体は小さいが、全身これ気迫の塊のような人物である。
遠くから眺めていても、そのオーラが感じられた。
自分では決して語らなかったそうだが、きっと何度か絶体絶命の死地を、血刀を振り回しながら切り抜けた経験がある人なのだろう。
「あの人は、『サンズ・マカオ』の開業時に、そこのVIP部のディレクターをやっていた。オープンからの8か月間で、博奕に勝って大陸へ戻る打ち手たちから、Tさんがもらったティップ(TIPS=心づけ)の額を、想像できるかな?」
「うう~ん、できない。そもそもダディが働くジャンケット業界、というものがリリーには想像できないんだから」
「彼の場合は、ジャンケットではなくて、ハウス直営のプレミアム・フロアの担当だった。お客さんたちから頂戴したのが、8か月間で2000万HKD(3億円)だ。ティップでだよ、ティップでだ。さすがに大きな話に慣れている業界でも、この額には驚いたものだ」
良平はテーブルに届けられたコニャックで、喉を湿す。
お代わりをもう一杯だ。
「それからしばらくは、STDM社の『リスボア(澳門葡京)』なんてまるで寄せ付けないほど、『サンズ・マカオ(金沙澳門)』の独壇場だった。『サンズ』がラスヴェガスで握っていた日本のハイローラー・リストに載る人たちを除けば、日本からの客なんて、相手にされない。なにしろPAIZA(LVS社のVIPフロアの世界共通名)が、大陸からの高級官僚や紅頂(=政商)たちで、すべて埋まってしまったのだから。
一枚50万HKD(750万円)のチップが、束となってどかどかと勝負卓に叩きつけられた。もう日本関係のジャンケットは、相手にされないのだから、メシの喰い上げだ。客は『サンズ』で打ちたがる。でもヒラ場以外で打てる部屋なんてなかった。あのころは、マギーの昔の顧客を他のハウスに引っ張て来て、細々と息をついていたものだった」
コニャックが新しく届けられた。
「『サンズ・マカオ』が開業してから2年後の2006年に『ウイン・マカオ(永利澳門)』がオープンした。その翌年の2007年12月には、『MGMマカオ(美高梅澳門)』も開業した。リリーも知っているだろうけれど、ふたつともラスヴェガスの巨大カジノ資本が絡んでいる。大規模な競争が起こった。ハイローラーたちの奪い合いだね。
そこでやっと空きができたジャンケット・ルームに、わたしたちもちょくちょく出入りできるようなった。それまでは敷居が高すぎて、たまにしか入れなかったんだ。入れるようになると、行きたい、という日本からの客がたくさんいて、交通整理が必要なほど『三宝商会』は忙しくなったのが、その頃だ」
さて、話したくはないが、核心である。(つづく)