第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(7)

「きみのお母さんが消えたのは、『ウイン・マカオ』がファンファーレとともに開業した直後だった。ラスヴェガス資本同士で、大口客の奪い合いがおこった。それでやっと日本のジャンケットも、『サンズ・マカオ』のVIPフロアに潜り込めるようになったんだ。テーブルに空きがでてきた。その日昼過ぎに、マギーと二人で一緒にジャンケット・ルームに顔を出した。別々のルームだったのだが、わたしの部屋は混んでいて、連れて行った客が座れない状態だ。

しかたないので、ハウス直営のプレミアム・フロアの方に入れてもらった。この日はたまたまだったのかもしれないが、『香港ルーム』も『広州ルーム』も満杯だ。大陸からの客足は途切れていなかったんだね。でも、ハウスはプレミアム・フロアなら、どんどんと新しいものを開放してくれる。3Fの部屋だけではなくて、上の階の部屋まで開けてくれた。それではじめて、うちの客のクラスでも、VIPフロアで博奕(ばくち)が打てるようになった。想い返してみると、とんでもない時代だったもんだ」

 右掌に箸をもったままのリリーが、不思議な表情を浮かべた。

「これもまあ、『戻らぬ夢のおさらい』というやつだよ」

 たしかにこんなことをいくら娘に説明しても、仕方あるまい。理解不能なはずなのだから。

「その日はそれぞれの客の接待で、マギーとはディナーで合流する予定になっていた。しかしマギーはディナーの席に現れなかった。マギーがアテンドしていたジャンケット・ルームのマネージャーに連絡したら、午後5時ころに客と一緒に出て行ったそうだ。家に戻って、一晩中待っていても、帰ってこない。もちろん、携帯もつながらなかった。煙のように消えちゃったんだ」

「なんで?」

 と緊張した面持ちのリリーが訊く。

「思い当たるフシが、まったくない。なぜきみとわたしを残して、マギーが突然消えてしまったのか」 

 ただ、こう考えても、それほど間違ってはいまい。

 あの頃のマカオでは、人が消えた。

 とりわけジャンケット関係者たちは、よく消えた。

 はるか昔に手打ちとなったはずの『マカオ戦争』が、良平たちにはわからない部分で、まだ尾を引いていたのかもしれない。

 そうであっても、なんでマギーなのだ?

 良平が知る限り、あの頃のマギーはトラブルを一切抱えていなかった。

 あれから12年間、都関良平が問い続けてきた疑問である。

 良平は、新しく届けられたコニャックを、一気に嚥下した。

 熱の塊が食道を落ちていく。

      *        *        *        *

 11月も末になると、上海蟹解禁で増えた日本からの客の足もまばらとなり、年末年始のかき入れ時まで、しばらく時間がとれるようになる。

 おまけにその時期には、『三宝商会』に日本からの大口客の予約は入っていなかった。

 フロント・マネーが50万HKD(750万円)から100万HKD(1500万円)クラスの常連客の名がちらほら。

 これなら優子一人で充分に対応できるだろう。

「できるよね?」

「はい、できます。ただ女の人をお世話するのは・・・」

 優子が口ごもった。(つづく)

⇒続きはこちら 第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(8)

PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。