第6章第2部:振り向けば、ジャンケット(14)

「大阪・東京なら1兆円を超える投資となるのでしょう。どんな大企業でもそう簡単に調達できる額じゃない。おまけにラスヴェガス系の大手は、どこも有利子負債が大きいのです。MGMなんて、1兆5000億円の有利子負債を抱えている。カジノ市場が急成長しているときは、それでも銀行がどんどんカネを出してくれたのですが、北京政府の『反腐敗政策』以降、市場の伸び率が低下あるいは縮小してしまった」

 窓の方を眺めながら、高垣が言った。

 この応接室の窓からは、通りを超したビルの窓が見えるだけだ。

 あの白いのは、ロアビルだ、と良平は気づく。

 霧雨が降っていた。

「だからMGMはオリックスと組みました。カジノ開業に関する資本は、日本で集めるつもりなのでしょうね」

 と柳沢が横から口をはさむ。

「日本で開業したら、そのターゲットとする客層は?」

 ここが良平にとっては重要だった。

 ターゲットにする客層次第で、良平の出る幕はなくなってしまうのだから。

「『IR整備法』を読む限りでは、当面は競馬などの公営競技およびパチンコのファン層だと思いますよ。だって、100万円以上のチップ購入は国税に報告することになるそうだし、ジャンケットは禁止されている」

 と高垣。

「10万円をカジノに持ち込む客層ですね。それじゃミニマム・ベット(テーブル・ゲームで一手で賭けられる最小金額)を5000円程度と安く設定しても、頑張って2時間くらいしかもたないじゃないですか。すぐに客が枯れてしまいそうだな」

 と良平。

「でも、公営競技が合わせて4兆円、パチンコは20兆円産業ですから。マカオのカジノの売り上げの5倍近くのマーケットがある」

 とS社の執行役員・柳沢。

 どうもこの人は、カジノの会計基準がよくわかっていないようだった。

 パチンコ業界は大小を問わず、メーカーでもホールでも警察からの天下りを多く抱えている。その手合いなのか。

「カジノの『売り上げ』とは、バイイン(ドロップ)・マイナス・ペイアウト(払い戻し)のことなので、その会計方式では、日本のパチンコ産業は年間3兆円強ほどの『売り上げ』としかなりません。つまり人口60万人しかないマカオのカジノ産業の『売り上げ』規模は、人口1億2000万人の日本のパチンコ産業全体のそれよりはるかに大きいのです」

「へええ」

 と柳沢。

 一方、高垣は困惑の表情を浮かべた。

 本社の役員がこれでは、研究所が困るわけだ。

「柳沢さんは、カネの動きの方が専門ですので」

 と言い訳するように高垣が言った。

 やはり柳沢は、パチンコ業界で無駄メシを喰う警察天下り組のようだ。

「公営ギャンブルやパチンコのファンが客層だとすると、最初の数年はそれでよくても先細りが確実です。日本の大口客は、国税報告義務があるなら、まず来ないのでしょうし」

 と高垣がつづけた。

「ええ、マカオでわたしが担当する日本のお客さまの中では、カジノが日本で開業されても、そこに行くという人は一人もおりません。皆さん、海外のカジノがお好きなようでして」

 良平は笑った。

「あの法案の内容では、そうなってしまうのでしょう。では、そんなものに、果たして1兆円もの投資をするのか? 霞が関もその点は心得ていて、『IR整備法』には『7年後の見直し』という文言がわざわざ入れてあるわけです」

 高垣の意見は、良平のそれと同じだ。

「7年後にはジャンケットの解禁を含めて、アジアの富裕層、とりわけ中国から大口客を引っ張ってこい、ということなのですね?」

「あなたのご専門領域です」

 高垣が言うと、良平の眼を正面から見据えた。(つづく)

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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。